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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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旅を終えて

船がゆっくりと東京湾の中を進み、
ベイブリッジの下を通過、
みなとみらいの観覧車が見えて来る。

横浜の天気は雨。それと雷。
そういえば出航のときも雨が降っていた。
旅のスタート地点でありゴール地点でもある風景を見て、
ああ、私たち地球一周したんだな、と。
海はつながってるんだな。

私のhomeはあくまでも札幌なので、
東京にいると「帰ってきた」という実感に乏しいのですが、
昨日、横浜に着くと同時に地球一周の旅を終えました。

20カ所の港を訪れながら、船で旅をしたこの3ヶ月半、
たくさんの街を訪れて、たくさんのものを見て、
いろいろな人に出会い、いろいろなことを学んで、感じてきたわけですが・・・
3月に「行ってきます」と書いたきり、
もやもや、ぐるぐるしている間に、
もう「ただいま」。
今も、もやもや、ぐるぐる。

書けるようになったら、書けることから、
旅のことを少しずつ書いていこうと思います。

3月25日 東京にて。

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地球二周目

突然ですが、明日から地球一周の旅に出てきます☆

名目は、英語・スペイン語・日本語間の通訳ボランティア。

行き先(国)はこんな感じ:

・ブルネイ
・シンガポール
・スリランカ
・ヨルダン
(スエズ運河)
・エジプト
・ギリシャ
・イタリア
・クロアチア
・モンテネグロ
・スペイン
・ジブラルタル
・モロッコ
・ベネズエラ
・パナマ
(パナマ運河)
・ペルー
・チリ
・タヒチ
・ハワイイ

インターネットにつながらない状態が続くのでどれだけできるかわかりませんが…
できるだけ旅のようすや通訳の裏話、そもそもなんで地球一周してるの?という話を書いていけたらなと思っています。
書きためて、つながったときにまとめてアップしたらいいかな。

では行ってきまーす♪

3月12日 横浜にて

「英語ができます」?

いつになったら、「英語ができる」と言っていいんだろう。

Do you speak English?という質問に Yes と答えられる。

Which language do you speak?という質問に対して I speak English と言える。

英語が、自分にとって外国語であることに変わりはなくても。

英検2級に合格したら?
TOEIC700点を取ったら?
英語で商談を成立させたら?

そして、いつになったら、英語が「外国語」であることをやめて、one of the languages I speakになるんだろう。

英語を使って暮らしたら?
何年住んだら?
英語を話す人と恋愛をしたら?

「英語ができない」と「英語ができる」の境目。
誰かがタイミングを教えてくれるのではなくて、
自分で決めるしかないんだと思います。

***

そんなことを考えていたのは、一ヶ月前に帰国してから、
英語ではなくスペイン語について聞かれるたびに、
私はいつになったら「スペイン語が話せます」と躊躇なく言えるようになるんだろう、と思ったから。

いつになったら言っていいんだろう、いつになったら私はGOサインを出すんだろう?

今、私が、自分のスペイン語を否定するのが、昔、自分の話す英語を否定していたときとよく似ていると気づいたから。

***

私が自分の英語をありのまま受け入れられるようになって、英語ができるという自信がついたのは、

TOEIC900点を取ったときでも、
英検1級に受かったときでも、
TOEFL100点を取ったときでも、
英語を教えるようになったときでも、
アメリカの大学に行ったときでもなくて。

そのずっと後。
移民の街トロントで3ヶ月暮らしたことがきっかけでした。

それまでになくいろんな種類の英語を聞いて、
もちろんアクセントもみんな違って、
文法も(教科書基準からすれば)めちゃくちゃで、
でもすごく堂々と話している。

言葉につまっても、良い間違えても、誤解したりされても、
「私が英語ができないばっかりに」なんて言う人も、申し訳なさそうな態度を取る人も、一人としていなかった。

これは、何と訳したらいいのかわからないのですが、they own their English.
英語を自分のものにしてしまっているんです。レベルとか関係なく。

正しく話せることは必ずしもうまく意思疎通ができるわけでもないことを学び、
共通のコミュニケーション手段としての英語の役割を、たぶん初めて実感したのがこのときでした。

***

自分の英語を受け入れられるようになったということは、例えば、

相手が言っていることがわからなかったときに、「私に理解力がないから」とか「語彙が足りないから」と自分を責めることなしに、「今なんて言ったの?」と聞き返せること。

もうあなたの言っていることが全く意味不明だから、私がわかるようにちゃんともう一回説明してちょうだいと言えること。それに対して申し訳ないと思わないこと。

相手が私の言っていることを理解してくれなかったときに、「私の発音おかしいのかな」とか「この言い方まちがってるのかな」とか心配することなしに、もう一度自分の言ったことを繰り返せること。少しだけ大きな声で、丁寧に、ゆっくりと。

うまく説明できないから、このことは言わないでおこう、とコメントを避けるのではなくて、きれいにまとまっていない考えを口に出す勇気を持てること。

***

そうそう、大学一年目に、教授とこんな会話をしました。

私:「授業で他の学生が言っていることが全く理解できないんです!どうしたらいいでしょう?」
教授:「うん、僕も時々わからなくなるよ。意見がまとまっていないし、話すのが下手だからね」

クラスのディスカッションについていけないとき、私はそれは自分の英語のレベルが低いからだと考えていました。
まさか、そもそも彼女たち(ネイティブスピーカー)の話し方に原因があるかもだなんて考えもしなかった!

なーんだ、教授に理解できないことが私に理解できるわけないじゃん(笑)
そんな単純な気づきで、私の心はずいぶん軽くなり、
そのためか以前より心の余裕を持って彼女たちの話に耳を傾けられるようになりました(笑)。
そして、「今あの子、自分でも何言ってるかわかってないな」とか冷静に判断できるようになりました…。

***

英語を、「外国語」として、つまり「他の誰かのもので自分のものではない言語」としてとらえているうちは、
どうしても無意識に、その言語を母語として話す人の言葉は正しくて自分のは正しくないと思い込んでしまうようです。

だからコミュニケーションがうまくいかないと、自分に原因があると思ったり、申し訳なく思ったりする。

でも、英語のネイティブスピーカーが必ずしも英語を上手に話せるかというと、全くそうではないし(私たちが日本語と悪戦苦闘するのと同じように)。

コミュニケーションは双方向であるべき。

歩み寄ってこそ成立すると思うのです。

***

「英語ができるようになりたい」と言う人の95%はもうすでに基盤ができているのだから、
英語ができる前提で、その英語を何に使いたいか、誰に何を伝えたいのか、
そういう目標の立て方をした方が伸びていくんじゃないのかなあ…。目指す方向に。

2014年も1ヶ月が過ぎますが、今年一年、あなたは英語を使って何をしたいですか?


型と中身についての話。

「型」と「中身」、両方を同時に考えるのは難しい。
外国語で話すときには、どちらか一方に意識を集中した方がいい。

あるとき、私の教授がそのように言っていました。

つまり、伝えたいメッセージの「内容」と、それをどのように伝えるか、という「形」(文法やイディオム)。

形(文法)ばかりに気を取られていると、メッセージの内容に気が回らなくなってしまう。
もともと何が言いたかったのかわからなくなってしまう。

そんな経験はありませんか?

どちらも完璧にしようとするのではなくて、状況に応じて、どちらに力を入れるか決めることが大切です。

例えば、何か重要なことを話しているときには、文法のことは忘れて伝えたい内容のみに集中する方がいい。(多少文法がおかしくなっても、単語をまちがえても気にしない。)

親しい友達と他愛もない話をしているときには、内容はどうでもいいから(笑)その時間だけ文法的に正しく話すことを心がけてみる。

英会話のクラスでは、正しく話すことを心がける。

クラスの外で誰かと英語で会話するときには、文法のことは忘れてコミュニケーションに集中する。

などなど。

往々にして、伝えたいメッセージに意識を集中した方が流暢に話せるものです。
「正しく」「上手に」「まちがえずに」話そうとすると、言葉が出てこなくなってしまいます。

***

英語を例にとって話しますが、外国語、特に英語を「正しく」使おうとするときの落とし穴は、
そもそも何をもって「正しい」英語とするのか、その基準について合意がないこと。
国によっても地域によっても違う。もっと言えば人によって違う。

だから、英語を「正しく」使おうと思ったときに、
「誰の基準に沿って?」という疑問が生じます。

学校の英語の授業では、あたかも「正解」があるように教えられますが、
英語に限っては、「標準語」というものは幻想でしかありません。
そんなもの存在しないんです。はじめから。

言語はもっともっとダイナミックなもので、
何を伝えるにしても、「この言い方が正しい(そして他は間違っている)」ということはありません。

状況によって何がより適切か、ということはあるかもしれませんが、
それも地域によって違えば、相手によっても違ってくる。
ルールは一つではないのです。
複数存在するばかりか、常に変わり続けています。

英語の授業で習うこと。
本に書かれてあること。
テレビやラジオ、インターネットから流れてくる情報。
それはあくまでも、たくさんある表現方法のうちの一つなのです。

***

ちょっと話が逸れますが、シンガポールでは、政府が10年ほど前から「正しい英語を話しましょう」というキャンペーンをおこなっています。"Speak Good English Movement"といいます。
毎年テーマを変えて、今でも続いています。

複数の言語が共存するシンガポールで話される英語には独特の訛りがあり、「シングリッシュ」と呼ばれることがあります。
アクセントが違うだけではなく、シンガポール特有の言い回しもたくさんあります。
このシンガポール独特の英語を排除して、正統なイギリス英語を話しましょう、というのがSpeak Good English Movementの趣旨です。
そうして国民の国際的な競争力を高めましょう、誰にでも通じる言語で話しましょう、その言語をもって革新的でクリエイティブなアイディアを発信しましょう、と。

この政府のキャンペーンに対抗して、「シングリッシュを救おうキャンペーン」(Save Our Singlish Campaign)を展開している民間のウェブサイトに、こんなことが書かれています。

"How can we tell Singaporeans to be creative, daring, and innovative, but only in the right language? How can we ask Singaporeans to dare to speak their minds and take risks in order to be more globally competitive and yet silence the way we normally communicate?"
(シンガポール人にどうやってクリエイティブに、大胆に、革新的になれというんだ、ただしそれを「正しい言語」でやらないといけないとしたら?ふだん自分たちが話す言葉、言語を封印して、排除して、それでどうやってシンガポール人に思ったことを話せというんだ?国際的な競争力を高めろというんだ?)

本当に、「正しい」とされる型にはめてでしかアイディアを表現できないとしたら、
そこにどうして創造性を求めることができるでしょうか?

そして、どうしてイギリス英語(スラングを含め)が「誰にでも理解される標準語」と崇められ、
シンガポール英語が「誰にも理解されない」と蔑まれないといけないのでしょう?

***

英語が話せるようになりたい、上達したい、という気持ちはとても素敵です。
でも、それは必ずしも「アメリカで生まれ育った英語を母語とするアメリカ人のように」話せるようになる、ということを意味する必要はないと思います。
「イギリス人のように」でも、「カナダ人のように」でもいいのですが。

統計から見ても、英語はもう、イギリスのものでもなければ、ましてやアメリカのものでもないのですから。

何が言いたいかというとですね、日本で生まれ育った日本人が英語を話すときに日本語訛りがあるのは当然のことで、
外国語である英語を流暢に話せるようになるまでに時間がかかるのは当然のことで、
存在すらしない「完璧さ」「正確さ」を求めて
自分がすでに持っている力(文法の知識であったり、語彙であったり)を過小評価しないでください、ということです。

今日はここまでにして、続きは明日書きます。

Home sweet home.

新年あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

2年ぶりの日本でのお正月!と楽しみにしていたのに、
旅の疲れと、家に着いて、無事に年が明けてほっとしたのと、
気がゆるゆるになった瞬間にバンクーバーで姉にしこまれた風邪菌にノックアウトされました。
まだ初詣にも行っていません…(泣)

それはさておき、本題のhomeについて。
昨日の夜、偶然テレビでPico Iyer の「故郷とは何か」というタイトルのTED Talkを見ました。
旅とは何か。故郷とは何か。
とても考えさせられる内容だったので、プレゼンの一部を紹介したいと思います。

***ここから引用***

出身はどこですか?という質問はとても単純なものです。
でも今の時代、単純な質問に対する答えがどんどん複雑になっています。

私も出身地をよく聞かれます。聞いた人はインドという答えを思い浮かべています。祖先や血筋という点では、まさにその通り。私は100%インド人です。でも生まれてから1日たりともインドに住んだことはありません。22,000以上あるインドの方言のうち、単語ひとつすら話すことができません。なので自分をインド人だと言う資格はないと思っています。

出身を尋ねる質問が、「どこで生まれ、育ち、教育を受けてきたのか」という意味であれば、私の出身はイングランドという 小さくて変な国です。でも、大学を卒業してすぐにイングランドを離れましたし、子どもの頃はずっと、教科書に出てくる古典的なイギリスの英雄と見かけが全く違うのはクラスで私だけでした。

出身を尋ねる質問が、「どこで税金を払い、病院や歯医者にかかるのか」という意味ならば、私はアメリカ人ということになります。小さな子どもだった頃から、もう48年間にもなります。でも、長年にわたって、定住外国人であることを示す、顔のところに緑の線が入った変なピンク色のカードを携帯しなければなませんでした。長く住むほど、外国人なのだと強く感じていますが…(笑)

では、もし出身とは「心のもっとも奥深くにあり多くの時間を過ごしたい場所はどこか?」という意味ならば、私は日本人です。この25年間、できるだけ多くの時間を日本で過ごしてきました。でも、私はいつも観光ビザで入国していますし、多くの日本人は私のことを同朋だとは思いたがらないでしょう。

こんな話をしたのは 自分の経歴がいかに時代遅れで単純なものかということを強調したかったからです。

香港やシドニー、バンクーバーに行くと、そこで出会う子どもの多くは私よりもずっと国際的ですし、多くの文化に接しています。彼らには、両親とつながった故郷のほかに、自分の配偶者や恋人に関連する故郷、その時たまたま住んでいる場所も故郷でしょうし、住みたいと思っている場所も故郷です。他にもたくさんあるでしょう。

彼らはいろいろな場所のかけらを手に取り、それをステンドグラスのように組み立てながら人生を送ります。
彼らにとって、故郷とは進行中の作品なのです。常にアップグレードし、改善や修正を加える、プロジェクトのようなものです。

多くの人たちが、故郷は土壌(soil)ではなく、魂(soul)とつながった場所だと考えています。もし突然誰かに、「故郷はどこですか?」と聞かれたら、私はいとしい人や親しい友人、いつも頭の中にある曲のことを考えます。

***ここまで***

4年間のほとんどをアメリカとカナダで過ごし、
"Where are you from?"ほど単純そうで複雑な質問はないのだと知りました。

その質問ひとつで、その人の人生を垣間見ることができることもあるし、
傷つけてしまうこともある。。

それでも私は無神経に聞いてしまうし、
私自身、同じ質問を何度も聞かれました。

私は、"Where is your home?"と聞かれると、
今でも戸惑います。
たった4年間日本を離れていただけで、です。たかが4年、されど4年。

もっと困るのは、"Where do you live?"(どこに住んでいるの?)という質問だったりします。
私は、今ここにいる場所がホームだよ、と答えます。
「そういうことじゃなくて、つまり君はどこに住んでいるの?」と聞かれます。
わかってもらえても、もらえなくても、こうして旅を続ける限り、
私はその答えにうまく答えることができません。
"Nowhere"(どこでもない)とでも言っておけばいいかな。

***

Pico Iyerによれば、自分の国を離れて暮らしている人の数は現在2億2千万人に達するそうです。

「古い国民国家の枠組みを超えて生活する人の数は、ものすごい速さで増えています。
この12年で6,400万人も増えました。じきに、アメリカの人口よりも多くなるでしょう。
すでに、地球で5番目に大きな国が作れる人数です。実際、カナダ最大の都市であるトロントの一般的な住民は、以前は「外国人」と呼ばれていた、違う国で生まれた人たちです」

そういう生き方を、既存の価値観にあてはめて考えるのではなく、
「故郷」「Home」に対する考えを、生き方に合わせて変えるべきなんだと思います。


「「どこから来たのか」よりも、「どこへ行くのか」ということの方が、はるかに重要な時代になりました。
より多くの人たちが、過去と同じぐらい、現在や未来に軸足を置いて暮らしています。
故郷というのは、ただ自分が生まれた場所というだけではありません。故郷とは、本当の自分になれる場所なのです」


Picoさんは旅と故郷について、こうも言っています。

「でも移動にはひとつ大きな問題があります。動き回っていると、自分の居場所を知るのがとても難しいのです。(中略)でも、立ち止まってこそ行く方向が分かるのだと思います。そして人生や世界の動きから一歩脇にそれてこそ、何が一番大切なのかが分かり、故郷を見つけることができるのです」

「移動というのは 素晴らしい特権です。祖父母の時代には、考えもつかなかったようなことが、たくさんできるようになりました。
でも移動が意味を持つのは、帰り着く故郷があってこそです。つまるところ、故郷というのは、ただ休むための場所ではなく、よりどころとして立ち止まる場所なのです」


そうか、旅は、立ち止まってこそ意味がある。
帰る場所があるから、意味がある。
でも私のホームはまだ work in progress です。それでいいんだ。

***

今年、私は地球一周の旅に出ます。
立ち止まることも大切にしながら旅をしようと思います。


※プレゼンのビデオはこちら:ピコ・アイヤー:「故郷とは何か」
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