Profile

Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


Latest journals


Latest comments


Weather


Exchange Rates

FX 株FX ブログ

Calendar

08 | 2017/09 | 10
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

Monthly archive


Search form

Tweets

# of visitors

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

地球二周目

突然ですが、明日から地球一周の旅に出てきます☆

名目は、英語・スペイン語・日本語間の通訳ボランティア。

行き先(国)はこんな感じ:

・ブルネイ
・シンガポール
・スリランカ
・ヨルダン
(スエズ運河)
・エジプト
・ギリシャ
・イタリア
・クロアチア
・モンテネグロ
・スペイン
・ジブラルタル
・モロッコ
・ベネズエラ
・パナマ
(パナマ運河)
・ペルー
・チリ
・タヒチ
・ハワイイ

インターネットにつながらない状態が続くのでどれだけできるかわかりませんが…
できるだけ旅のようすや通訳の裏話、そもそもなんで地球一周してるの?という話を書いていけたらなと思っています。
書きためて、つながったときにまとめてアップしたらいいかな。

では行ってきまーす♪

3月12日 横浜にて
スポンサーサイト

「英語ができます」?

いつになったら、「英語ができる」と言っていいんだろう。

Do you speak English?という質問に Yes と答えられる。

Which language do you speak?という質問に対して I speak English と言える。

英語が、自分にとって外国語であることに変わりはなくても。

英検2級に合格したら?
TOEIC700点を取ったら?
英語で商談を成立させたら?

そして、いつになったら、英語が「外国語」であることをやめて、one of the languages I speakになるんだろう。

英語を使って暮らしたら?
何年住んだら?
英語を話す人と恋愛をしたら?

「英語ができない」と「英語ができる」の境目。
誰かがタイミングを教えてくれるのではなくて、
自分で決めるしかないんだと思います。

***

そんなことを考えていたのは、一ヶ月前に帰国してから、
英語ではなくスペイン語について聞かれるたびに、
私はいつになったら「スペイン語が話せます」と躊躇なく言えるようになるんだろう、と思ったから。

いつになったら言っていいんだろう、いつになったら私はGOサインを出すんだろう?

今、私が、自分のスペイン語を否定するのが、昔、自分の話す英語を否定していたときとよく似ていると気づいたから。

***

私が自分の英語をありのまま受け入れられるようになって、英語ができるという自信がついたのは、

TOEIC900点を取ったときでも、
英検1級に受かったときでも、
TOEFL100点を取ったときでも、
英語を教えるようになったときでも、
アメリカの大学に行ったときでもなくて。

そのずっと後。
移民の街トロントで3ヶ月暮らしたことがきっかけでした。

それまでになくいろんな種類の英語を聞いて、
もちろんアクセントもみんな違って、
文法も(教科書基準からすれば)めちゃくちゃで、
でもすごく堂々と話している。

言葉につまっても、良い間違えても、誤解したりされても、
「私が英語ができないばっかりに」なんて言う人も、申し訳なさそうな態度を取る人も、一人としていなかった。

これは、何と訳したらいいのかわからないのですが、they own their English.
英語を自分のものにしてしまっているんです。レベルとか関係なく。

正しく話せることは必ずしもうまく意思疎通ができるわけでもないことを学び、
共通のコミュニケーション手段としての英語の役割を、たぶん初めて実感したのがこのときでした。

***

自分の英語を受け入れられるようになったということは、例えば、

相手が言っていることがわからなかったときに、「私に理解力がないから」とか「語彙が足りないから」と自分を責めることなしに、「今なんて言ったの?」と聞き返せること。

もうあなたの言っていることが全く意味不明だから、私がわかるようにちゃんともう一回説明してちょうだいと言えること。それに対して申し訳ないと思わないこと。

相手が私の言っていることを理解してくれなかったときに、「私の発音おかしいのかな」とか「この言い方まちがってるのかな」とか心配することなしに、もう一度自分の言ったことを繰り返せること。少しだけ大きな声で、丁寧に、ゆっくりと。

うまく説明できないから、このことは言わないでおこう、とコメントを避けるのではなくて、きれいにまとまっていない考えを口に出す勇気を持てること。

***

そうそう、大学一年目に、教授とこんな会話をしました。

私:「授業で他の学生が言っていることが全く理解できないんです!どうしたらいいでしょう?」
教授:「うん、僕も時々わからなくなるよ。意見がまとまっていないし、話すのが下手だからね」

クラスのディスカッションについていけないとき、私はそれは自分の英語のレベルが低いからだと考えていました。
まさか、そもそも彼女たち(ネイティブスピーカー)の話し方に原因があるかもだなんて考えもしなかった!

なーんだ、教授に理解できないことが私に理解できるわけないじゃん(笑)
そんな単純な気づきで、私の心はずいぶん軽くなり、
そのためか以前より心の余裕を持って彼女たちの話に耳を傾けられるようになりました(笑)。
そして、「今あの子、自分でも何言ってるかわかってないな」とか冷静に判断できるようになりました…。

***

英語を、「外国語」として、つまり「他の誰かのもので自分のものではない言語」としてとらえているうちは、
どうしても無意識に、その言語を母語として話す人の言葉は正しくて自分のは正しくないと思い込んでしまうようです。

だからコミュニケーションがうまくいかないと、自分に原因があると思ったり、申し訳なく思ったりする。

でも、英語のネイティブスピーカーが必ずしも英語を上手に話せるかというと、全くそうではないし(私たちが日本語と悪戦苦闘するのと同じように)。

コミュニケーションは双方向であるべき。

歩み寄ってこそ成立すると思うのです。

***

「英語ができるようになりたい」と言う人の95%はもうすでに基盤ができているのだから、
英語ができる前提で、その英語を何に使いたいか、誰に何を伝えたいのか、
そういう目標の立て方をした方が伸びていくんじゃないのかなあ…。目指す方向に。

2014年も1ヶ月が過ぎますが、今年一年、あなたは英語を使って何をしたいですか?


型と中身についての話。

「型」と「中身」、両方を同時に考えるのは難しい。
外国語で話すときには、どちらか一方に意識を集中した方がいい。

あるとき、私の教授がそのように言っていました。

つまり、伝えたいメッセージの「内容」と、それをどのように伝えるか、という「形」(文法やイディオム)。

形(文法)ばかりに気を取られていると、メッセージの内容に気が回らなくなってしまう。
もともと何が言いたかったのかわからなくなってしまう。

そんな経験はありませんか?

どちらも完璧にしようとするのではなくて、状況に応じて、どちらに力を入れるか決めることが大切です。

例えば、何か重要なことを話しているときには、文法のことは忘れて伝えたい内容のみに集中する方がいい。(多少文法がおかしくなっても、単語をまちがえても気にしない。)

親しい友達と他愛もない話をしているときには、内容はどうでもいいから(笑)その時間だけ文法的に正しく話すことを心がけてみる。

英会話のクラスでは、正しく話すことを心がける。

クラスの外で誰かと英語で会話するときには、文法のことは忘れてコミュニケーションに集中する。

などなど。

往々にして、伝えたいメッセージに意識を集中した方が流暢に話せるものです。
「正しく」「上手に」「まちがえずに」話そうとすると、言葉が出てこなくなってしまいます。

***

英語を例にとって話しますが、外国語、特に英語を「正しく」使おうとするときの落とし穴は、
そもそも何をもって「正しい」英語とするのか、その基準について合意がないこと。
国によっても地域によっても違う。もっと言えば人によって違う。

だから、英語を「正しく」使おうと思ったときに、
「誰の基準に沿って?」という疑問が生じます。

学校の英語の授業では、あたかも「正解」があるように教えられますが、
英語に限っては、「標準語」というものは幻想でしかありません。
そんなもの存在しないんです。はじめから。

言語はもっともっとダイナミックなもので、
何を伝えるにしても、「この言い方が正しい(そして他は間違っている)」ということはありません。

状況によって何がより適切か、ということはあるかもしれませんが、
それも地域によって違えば、相手によっても違ってくる。
ルールは一つではないのです。
複数存在するばかりか、常に変わり続けています。

英語の授業で習うこと。
本に書かれてあること。
テレビやラジオ、インターネットから流れてくる情報。
それはあくまでも、たくさんある表現方法のうちの一つなのです。

***

ちょっと話が逸れますが、シンガポールでは、政府が10年ほど前から「正しい英語を話しましょう」というキャンペーンをおこなっています。"Speak Good English Movement"といいます。
毎年テーマを変えて、今でも続いています。

複数の言語が共存するシンガポールで話される英語には独特の訛りがあり、「シングリッシュ」と呼ばれることがあります。
アクセントが違うだけではなく、シンガポール特有の言い回しもたくさんあります。
このシンガポール独特の英語を排除して、正統なイギリス英語を話しましょう、というのがSpeak Good English Movementの趣旨です。
そうして国民の国際的な競争力を高めましょう、誰にでも通じる言語で話しましょう、その言語をもって革新的でクリエイティブなアイディアを発信しましょう、と。

この政府のキャンペーンに対抗して、「シングリッシュを救おうキャンペーン」(Save Our Singlish Campaign)を展開している民間のウェブサイトに、こんなことが書かれています。

"How can we tell Singaporeans to be creative, daring, and innovative, but only in the right language? How can we ask Singaporeans to dare to speak their minds and take risks in order to be more globally competitive and yet silence the way we normally communicate?"
(シンガポール人にどうやってクリエイティブに、大胆に、革新的になれというんだ、ただしそれを「正しい言語」でやらないといけないとしたら?ふだん自分たちが話す言葉、言語を封印して、排除して、それでどうやってシンガポール人に思ったことを話せというんだ?国際的な競争力を高めろというんだ?)

本当に、「正しい」とされる型にはめてでしかアイディアを表現できないとしたら、
そこにどうして創造性を求めることができるでしょうか?

そして、どうしてイギリス英語(スラングを含め)が「誰にでも理解される標準語」と崇められ、
シンガポール英語が「誰にも理解されない」と蔑まれないといけないのでしょう?

***

英語が話せるようになりたい、上達したい、という気持ちはとても素敵です。
でも、それは必ずしも「アメリカで生まれ育った英語を母語とするアメリカ人のように」話せるようになる、ということを意味する必要はないと思います。
「イギリス人のように」でも、「カナダ人のように」でもいいのですが。

統計から見ても、英語はもう、イギリスのものでもなければ、ましてやアメリカのものでもないのですから。

何が言いたいかというとですね、日本で生まれ育った日本人が英語を話すときに日本語訛りがあるのは当然のことで、
外国語である英語を流暢に話せるようになるまでに時間がかかるのは当然のことで、
存在すらしない「完璧さ」「正確さ」を求めて
自分がすでに持っている力(文法の知識であったり、語彙であったり)を過小評価しないでください、ということです。

今日はここまでにして、続きは明日書きます。

秋学期を振り返る

ちょっと時間を巻き戻して、秋学期について振り返ってみようと思います。
「卒論を書くため」に自分自身に与えた時間。
この最終学期は、自分への贈り物だと思いました。
だからこそ大切に使いたい。

でも、肝心の卒論の方はというと、9月にブータンから帰ってきたとき、実は完全に道を見失っていたというか、やる気を失っていたというか…。
ブータンでやるはずだったフィールドワークも思うように進まず、リサーチも不十分で、何が書きたかったのか、何が書きたいのか、もう全然わからない。
続けたいかどうかさえ、疑問。
そんな状態で秋学期がスタートしました。

アドバイザーのR教授にその気持ちを正直に話すと、
「卒論として認められるまでにはいろいろな要因が関わっているから(教授のスケジュールの都合とか)、もし卒論にならなくても君のせいだけじゃないからプレッシャーを感じなくていいよ。とりあえずそれを目指して書いてみて、だめだったら長いリサーチペーパーになるというだけだよ」と、慰めともあきらめともつかないことを言われ。。

完成図が描けず、遅々として執筆が全く進まないまま9月が過ぎていきました。

●○●○

9月いっぱい、ほとんど卒論に手がつけられなかったのにはもう一つ理由があって、
それはキャンパスのバイト3つとインターンシップに週25〜30時間ほど費やしていたから。
今学期になって初めて、近くの高校のライティングセンターの指導をするポジションについたのですが、それが私の時間とエネルギーをすっかり奪っていたのでした。

一度引き受けたからには、最後までやり通したい。
でも、現実は、バイトと卒論を全く両立できていない。

どうしよう、どちらかをあきらめようか、でもどちらもあきらめられない、、悶々。
いつも、バイトを優先してしまうのは、それが自分にとって本当に一番大切だからなのかな、
それとも、他人に迷惑をかけないために、約束を守るためだけにやっているのかな。
今、本当にこの仕事に情熱を感じているのかな。
自分との約束(卒論)と他の人との約束(バイト)どっちが大切かな。
悶々。

でも、よくよく考えてみると、バイトとインターンシップを簡単に切り捨てられなかった理由があって、それは、
最後の学期、自分の研究にももちろん取り組みたいけれど、大学内外のコミュニティに貢献したいという気持ちが強くあったからなのです。
それに、バイトとインターンは、誰かの役に立っているという実感や、人に感謝されるという形で、自分の仕事の成果がすぐに形となって表れて自分にかえってくる。

卒論は、地味で、やってもやらなくても、誰にも迷惑もかからなければ、成果がすぐに表れるということもない。
感謝ももちろんされない。

弱い心がむくむくと大きくなって、
卒論、やめよっかなー。。。
いやでも、卒論を書くために大学に戻ってきたんだから、今さらやめるとも言えないし…(かっこつけたがりなので)。

●○●○

もう一つ、卒論に力を出し切れなかったのは、心理的な壁のせいでした。
内容にも、自分の書く能力(英語)にも、全然自信がない。
「書く」ということに真剣に向き合うのが怖かったのかも。
「卒論」という形にばかりとらわれて、自分にプレッシャーをかけすぎていたのかもしれません。

でもその気持ちをアドバイザーや何人かの友達や教授に話してみると、
卒論は別にlifeworkじゃなくていいんだよ、と。
卒論が私の存在価値を決めるわけじゃない。書く能力を決めるわけじゃない。
うまく書けても書けなくても、今いる場所から、踏み出さなければいけない最初の一歩なんだよ、と。

R教授に言われました。
形にとらわれなくていい。
これまで学んだ「アカデミック」な文章の書き方のルールを忘れなさい。
「卒論はこうでなくてはいけない」という考えを捨てなさい。
期待に添えようとしなくていい。
自分を解き放ちなさい。自分自身に書く権利を与えなさい。
"Free yourself. Allow yourself to write. Write from your heart."

●○●○

方向性が定まらないまま、でも書きたいという気持ちが少しずつ戻ってきたところで、9月末。
卒論の草稿の提出締め切りまで1ヶ月。

もう本当に書き始めないと間に合わない!
やっぱりここであきらめたくない。

決心を新たに、9月の反省を活かして、自分の時間の使い方と優先順位を見直しました。

バイトもインターンも続けることにしましたが、シフトを減らして、私がやる必要のないことはすべて他の人にまかせることにしました。
ミーティングも、全部時間制限を設けて、だらだらと仕事をしない。

それから授業を一つ減らしました。

あと、もう一つ時間を取っていたのがメールや携帯チェックだということに気づきました。
メールの時間を決めて、緊急のメール以外は返さない。
Mailアプリを起動しない(メールが来るたびに読まずにいられないから)。
携帯もサイレントモードに切り替えて、電話も出なければテキストも返さない。

自分のパソコンで作業するといろいろ他のことを始めてしまうので、卒論に取り組んでいる間は学校のパソコンを使う。

ブログもおあずけ。

結果、平均週3〜4日、一日6〜8時間を確保(時間って作ればあるんだ!)。
平日がんばって、週末はバイトを入れず、卒論も置いてゆっくり休む。

え、就活?そんなものは、学期の最初に一番最初にリストから消しました。
卒業後のことは卒業してから考えればいい。

●○●○

書き始めるまでも大変でしたが、書いている最中も同じくらい大変でした。
「まだここリサーチできてない」とか「この文ひどいよ!」とか「こんなの見せられない」とかなんとか、
頭の周りを飛び回るハエみたいに思考が邪魔をする。
その声に耳を傾けてしまうと、手が止まってしまう。

ほんとに、最大の敵は自分自身ですね。
この卒論の最大の障害物は、まちがいなく自分自身。

自分の直感的なアイディアを信じて、計算しすぎない。
あれこれ考えないで書く。
そうして書いたものが、教授に「このアイディアいいね!」とか「うまく書けてるね!」とか認めてもらえると、
ひらめきを信じていいんだなと思えるようになり、少しずつ書く自信がついていきました。
そうすると、自分の批判的な声を跳ね返すことができます。

もう一つ、私の癖は、下書きの段階から、たった一つの単語、文、段落に、1時間も2時間もかけてしまうこと。
その文を消してしまうかもわからないのに。

なので、今回ドラフトを執筆している間は、単語に悩むのは3分まで、どんなひどい文でも文法がめちゃくちゃでもとりあえずアイディアがなんとなく伝わっていればよし、と、一時的にライティングのレベルを下げて(自分の期待値を下げて)取り組みました。

"Good enough is good enough"
"A good thesis is a done thesis"
と、呪文のようにぶつぶつとつぶやきながら、とにかく書き進める。

そうそう、そしてもう一つ。
リサーチをしすぎないことも締め切りに間に合わせるためのポイントでした。
特に下書きを書いている間は、教授にリサーチ禁止令を出されたので。
なぜかというと、私はリサーチを始めると、この本も読んでみよう、あの論文も読まないと、この著者のことも調べてみよう、云々、止まらなくなっちゃうんですよね。
「リサーチができてから」と思うと、書く作業が進むわけがないんです。
「もうリサーチは十分だから、とりあえずこれ以上調べないで今知っていることを書きなさい」と言われ、禁断症状に悩まされながらも(笑)その場で調べたい・読みたい気持ちをぐっとおさえて「後で調べることリスト」に追加するのみ。

そうして下書きを提出し、フィードバックをもとに書き直しに入ってから、読みたかった本や論文を「戦略的に」使いながら、足りないものを補うようにリサーチをして原稿に反映させていきました。

●○●○

結果的に自分でも大満足の卒論ができあがったのですが、
結果と同じくらい、それかそれ以上に、プロセスが大事だったと感じます。
賞賛されるべきは、今の自分ではなくて、最後Defenseで守りきった自分でもなくて、
疲れていても図書館に向かった自分の方。信じて書き続けた自分の方。

友達が、私の論文を読んで、夜中の3時過ぎにこんなメールを送ってくれました。
そのときは期末試験の真っ最中で、最初の数ページだけ読んでみてから勉強に戻ろうと思ったけど、読み始めたら止まらなくなって結局最後まで読んでしまったのだと。
勝手に一部転載します。
"I am honored that you have shared this with me and grateful that you have shared this with the
world (or the [college] community, at least)."

誰かに、そんなふうに言ってもらえるなんて夢にも思わなかった。
自分のために書いた、自分勝手な論文が、たった一人でも、その人の心に届いたなら、そんなに嬉しいことはない。

書いてよかったと心から思いました。

○●○●

で、何について書いたんですか、という質問が聞こえてくるような気がします。
簡単に言えば、「英語を学ぶ、教える」ということに関して、その意味を再考した、とでも言いますか。
興味がある方がいらっしゃれば、コメントをくださればリンクをお送りします。

外国語で本を読む。

昨日から一週間の春休みに入りました♡
最近は少し暖かくなったかと思えばまた氷点下に冷え込む日もあり、春はまだまだ先のようですが。

人気がなくなって静けさの漂うキャンパスではいつもより少しゆっくりと時間が流れているように感じます :)

***

春休みだし、ちょっとは勉強の息抜きをしたい!と思って
前回宣言した通り(笑)アルケミストを読んでみることにしました♡
休み明けにポルトガル語の中間試験があるし、良い勉強になるでしょう。





図書館にもポルトガル語版の本があるのですが、昨日と今日は閉まっているので、
グーグルで "O alquimista" と検索してみるといとも簡単にPDF版が見つかりました。

本で読むのに比べると読みづらいけど、まいっか。

星の王子様を読んだときのように、ノートに文章を書き写して、わからない単語と文法を調べて…と勉強する気満々で(試験があるし)、
ノートと辞書と参考書とパソコンを持ってカフェに行ったのですが、
書き写す作業が非常に面倒くさくなってしまいまして(笑)
いいや、その過程はスキップして、ひとまず目を通してみよう、と読み始めました。

当然わからない単語や構文がたくさん出てくるわけですが、
思ったより理解できるんですね。
I understood more than I had given myself credit for.
自分の力を見くびっていたというか。

ベーグルを食べるため両手が塞がっていたので辞書を引くのも面倒で(笑)
わからないことは後で調べればいいや、と思い、
そのまま読み進めることにしました。

辞書を引くのはどうしても知りたい単語だけにとどめて、
参考書で文法や構文を調べる前に文脈から意味を推測することにして、
当初の「勉強する」という目的は早々と捨て、今の自分が文脈だけを頼りにどれだけ読めるか試す機会と決めました。

で、わからないなりに最後まで読み切ったのです。
途中で何度も休憩をはさみ、所要時間は約10時間。

読み進めてみると、最初はイマイチ意味がつかめなかった単語や文の構造も、繰り返し違う文脈での使われ方を目にすることで、最後にはそのほとんどが理解できるようになっていました。

何より「本を一冊読んだ」という達成感と自信!
(PDFだと感慨に欠けますが。)

***

外国語で本を読む、という考え自体 intimidating と感じる(壁が高くて挑戦するのにも気が引ける)人が多いようです。

でも自分のレベルに合うか、それよりほんの少し上の本で成功体験を重ねていくと、外国語で読むというのがちっとも怖くなくなるのではないかなと思います。

最初に読む本としてお勧めなのは、
・絵本、児童文学
・読み切りの短編小説
・自分の専門分野の入門書
・すでに日本語訳を読んでストーリーを知っている小説
・自分が好きな日本語の小説の翻訳
などなど。

短めで、わりと簡単な文で書かれていて、自分の興味がある内容の本がいいと思います。

英語だったら、英語学習者向けでレベル別の "Penguin Readers" などのシリーズもお勧めです。

外国語の本を探すなら、こんなサイトもあります ↓
英語教材・英語の本を扱うサイト:http://www.eltbooks.com/home.php
イタリア、スペイン、ポルトガル語の本の専門店:http://italiashobo.com/hq/index.php

みなさんもぜひお試しあれ☆
次は何を読もうかな…

 | ホーム |  » page top


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。