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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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日本人の友達

「留学中、日本人同士で固まっているのは良くない」とか、「留学するなら日本人が少ないところがいい」というアドバイスをよく耳にします。

確かに日本語ばかり話していては英語は上達しないし、日本人同士でつるんでばかりいるとアメリカ人や他の国の友達ができづらい、というのも一理あります。

けどそれは、「日本人の友達を作ってはいけない」と言うのとは違います。
むしろ留学先では日本人の友達を積極的に作るべき、と私は思うのです。

特にカルチャーショックやホームシックを経験しているとき、
想像以上に大きく立ちはだかる言語の壁に苦しんでいるとき、
和食が恋しくなるとき、
一緒にジャパレスに行って「こんなの和食じゃないよね」と文句を言いながらサッポロビールで乾杯してアメリカ人の悪口を言う…じゃなかった、海外生活の楽しさや辛さを分かち合える友達の存在は、
留学生活の質を完全に変えてしまうほど大きなもので、大切なものだと思います。

振り返ってみると私の留学先には必ず私を支えてくれた日本人の友達の存在がありました。
高校生の時、カナダに2ヶ月留学した時も、
アメリカの大学に入学した時も。
あのとき一緒に留学した仲間がいなかったら、私はとっくにあきらめて日本に帰っていたかもしれません。

「日本人の友達は作らない方が良い気がして」日本人から距離を置く人もいますが、
アメリカ人だから友達になろう、
日本人だから友達にならないでおこう、etc、
そんな風に国籍で付き合う人を選ぶこと自体、なんだかおかしな話。
もったいないなあ、と思ってしまいます。

その(差別)意識を取り払ったらきっと、
アメリカ人とも日本人とも友達になれるじゃないかな。
そんな気がします。

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私の「頭の中」

母国語は日本語で、スペイン語専攻で、今は韓国語を学んでいて云々、という話をすると、
「頭の中どうなってるの?」
とか、
「いつも何語で考えてるの?」
などと聞かれることが多々あります。

「考える」って無意識的に行うことが多いし目に見えないので、何語かということも普段は特に意識しないのですが…。
あまりにも頻繁に聞かれるので、しばらく、自分の「考える」という行為を意識して観察してみました。


その前に「頭の中がどうなっているか」という話を。
あ、ちなみに今日の話題は全くもって現実に役に立たないので、最初にそう断っておきます。

感覚的な話ですが、英語を勉強し始めたときからずっと、頭の中に言語の「部屋」というイメージがあります。視覚的というよりは感触的なイメージで。

英語を勉強して、ある程度身に付くと、頭の中に「英語の部屋」ができて、英語の文法や語彙などの情報は全部その部屋に収納される。

フランス語を勉強し始めたとき、日本語・英語の他に、「その他外国語」という部屋ができて、そこにフランス語の情報が収納される。

その後も他の外国語を勉強するたび「その他外国語」にいったん収納され、ある程度自由に操れるようになると自分の部屋が確立される。ちなみに自分の部屋が確立されないとその言語へのアクセスに時間がかかるので言語間の切り替えもスムーズにいかない。しばらく使用されないと部屋ごと退化するか他の部屋に吸収合併される。

チリ留学を経て「スペイン語の部屋」を、韓国滞在中に「韓国語の部屋」を建設。

なので今私の頭の中には、大きい順に、「英語の部屋」「スペイン語の部屋」「韓国語の部屋(建設中)」そして「その他外国語(フランス語、中国語、その他ランダムな情報)」があります。


***


ここから本題、「思考の言語」について。


結論その1:日本語は無意識の言語、英語は意識の言語。

生活に密接した、反射的な思考…「コーヒーこぼしちゃった」とか「授業の後パン買いに行こう」とか、そういうのは全部日本語です。自分との会話はほとんど日本語。
無意識・反射的・受動的な思考はほぼ100パーセント日本語。

留学生活が長くなるにつれて英語が無意識の分野に進出し始めていますが、
英語は基本的には「意識の言語」で、英語のインプットに対しては英語で考える、という感じです。
例えば英語で書かなければいけないエッセイがあるとき、そのエッセイについてアイディアを出したり下書きを書いたりするときは英語。
なので大学で勉強しているときの思考はたいてい英語。

そう考えると、狭義の「考える」ということの大部分を私は英語でおこなっているのかもしれません…。
「思う」のは日本語で、「考える」のは英語、とも言えるかも。
日本語は感情・感覚に一番近く、英語は理性と分析に一番近い。

他の言語はもっと使用時期が特化されていて(?)、
スペイン語で書かなきゃいけないエッセイやメールを考える時はスペイン語、
韓国語はまだ思考できるレベルに至っていなく、日本語で考えて韓国語に訳しています。



結論その2:常に複数の言語間を行き来している。

「英語で考える」と言っても100パーセント英語で考えるわけではありません。
知らない単語はまだまだたくさんあるし、その度に和英辞典を使っています。辞書を開かない日は一日もないのです。

スペイン語を学ぶことによって、英語がスペイン語の思考に影響されるということもあります。
英語を話していて、「これはスペイン語の表現の直訳だ」と気付き言い直すことも。その反対もあります。

さらに、「日本語で考える」というのも100パーセント日本語でおこなっているわけではないのです。
特に大学の授業で習ったコンセプトを日本語で説明しようとすると、単語もわからないし、うまくまとまらない。
アカデミックな内容に限らず、時々、自分が話す日本語が、英語の翻訳なんじゃないかと思うことがあります。

あまり良い例ではないですが、例えば…。
日本人の友達に、友達を紹介されて初めて会ったとき、私は「会えて嬉しいです」と言って、
「そんなこと日本語で言わなくない?」と後で友達につっこまれてしまいました。
その表現って日本語として不自然?思考回路に組み込まれた "Nice to meet you" の翻訳?
その区別がもう、つかないんです。

なので頭の中に英語の音が流れていても思考回路はスペイン語かもしれない。日本語で考えているつもりでも英語の論理の中にいるのかもしれない。


授業のノートや日記など個人的なものは、複数の言語が常に入り交じっています。日記は特に「考える」と「書く」が同時進行でおこなわれるので、思考の軌跡が一目瞭然です。

なぜ複数の言語が入り交じるかというと、ひとつは、先に頭に浮かんだものを使うからです。便利だからで、時間の節約。

もうひとつは、できるだけ翻訳をしないで、「元の考えに一番近い」言葉を使いたいから。
辞書の上では同等と位置づけられている単語ひとつとっても、言語が変わると私にとって意味が変わってしまうのです。

どういうことかと言うと、例えば、
"I miss you" "Te echo de menos" "恋しい" "보고싶어" …
これらの感情表現は辞書の上では「同じ意味」だとしても、どれも全く別の意味と響きを持っていて、決して意味が釣り合うことはないのです。

その時によってその時の気分で書くので、全部日本語だったり、英語とスペイン語が半々だったり、何か一つの単語や表現だけ違う言語だったり。
誰に見せるわけでもないので好き放題、不規則的で無秩序、それが私の思考の正体です。



結論その3:常に翻訳している。

これは厳密に言えば「話すとき」「書くとき」ですが、そういうときも頭は働いているので。
上に書いたように私の頭の中は常に複数の言語が共存しているので、コミュニケーションを取るときは相手に合わせて、そのときの共通言語に翻訳するという作業が避けられません。

程度は多かれ少なかれ、いつも頭の中で翻訳している自分がいるのです。



以上。私って「頭おかしい」のかな。笑


韓国という国、外国を理解するということ

最近、というか昨日、韓国について一冊の本を読みました。
半年ほど前にタイトルだけ見て古本屋(札幌の)で買って、手をつけないまま実家の本棚に置いてあった文庫本。
今度こそ読もうと思って韓国に持って来たのでした。

その名も、『韓国は一個の哲学である―「理」と「気」の社会システム』 小倉 紀蔵著(講談社現代新書)



今日はその本を読んで思ったことを書きます。本の内容の要約ではありませんので悪しからず。

***

「韓国人は○○だ」「韓国社会はxxだ」
一番身近で交流も多い、実体のある外国だからこそ、体験に基づいた、いかにももっともらしい "韓国論" を広げる人がいる。そしてさらに、日本と韓国という二つの国を比較してコメントをする。どちらの社会がより道徳的か、発展しているか、歴史を大切にするか、優れているか、礼儀正しいか、etc、etc。韓国を絶対肯定する人もいれば、露骨に嫌悪感を表す人もいる。多くが「同じ東アジア」に属す日本と似た国だという楽観に基づいて、または、日本とは全く次元が違い話が通じるわけがないのだという悲観に基づいて、評価を下す。

韓国人にしても同様。社会全般に広まっている日本のイメージの多くは批判的・否定的なもので、日本を劣った国として見る傾向がある。

でもその判断は、その国の道徳観、世界観に則って導き出されたものであることを認識しなければならない。日本人は日本で育まれた道徳観、世界観に従って韓国(人)を評価する。韓国人は「韓国社会の思想的な『しくみ』」の中で日本(人)を評価する。このとき、二人の対話がかみ合うはずがないのだ。対等になれるはずがないのだ。

日本の道徳観と言っても、それを定義するのは難しい。今、自分の口から出ている言葉が、どのようにその道徳観に形作られているかを客観的に認識するのはもっと難しい。その言葉が実は偏見に満ちていることに人は気づかない。「韓国は」「韓国人は」と一般化する瞬間、大きなリスクを冒している。

日本に関して韓国人の発する言葉や韓国社会の発するメッセージを、韓国の哲学を理解する努力なくしては理解し得ない。賛成や反対はできる、傷つくこともできるし喜ぶこともできる、けれど理解はできない。「気」が合ったり、「気」が許せることと、相互「理」解できることの違いがここにある。

もっと言えば、日本というテーマに限らず、どんなテーマであっても、韓国の道徳観を理解せずに韓国人の言葉や行動を理解することはできない。ましてや韓国語は到底理解できない。日本語に翻訳して、日本の定義で、日本社会の思想のしくみの枠内でわかったつもりになるだけで、その言葉や行動の核心からは遠ざかる一方だ。その矛盾はテーマが複雑に、繊細になればなるほど浮き彫りになる。

きっとそれは個人レベルだけでなく国レベルでも同じで、韓国政府が取る態度や行動、政策も、韓国という哲学を理解することなしには理解できない。


この本は、はっきり言って、非常に読みにくい。韓国や儒教に関して初めて読むのであれば、なおさら。
たびたび出てくる、日本を批判するようなコメントに気分も害される。(それを上回る韓国の痛烈な批判が最後に待っているのだけれど。)
けれども最終章は日韓関係(個人レベルでも国レベルでも)の確執の核心をつき、本当におもしろい。そして痛い。少なからず真実をついているからだと思う。
それまでの200ページは、最後の20ページを理解するためにあったようなもの。それでも読む価値があると思う。

この一冊で韓国が理解できたとは到底思わない。けれど、韓国社会と韓国人について、今まで目撃したこと、今経験していることを解釈する一つの方法を手に入れた気がする。
今までと違った(そしてたぶん、より正確な)視点を手に入れ、自分の考えや言動を顧みるきっかけにもなった。

「韓国」の部分を、「アメリカ」でも「チリ」でも「インド」でも、どの国にも置き換えて考えることができる。

外国語を学び、外国について発信する私が、心に常に留めておかなければいけないこと。


サンチアゴ!! スペイン語!!

サンチアゴへやってまいりました☆

サンチアゴ上空
(↑サンチアゴ空港着陸15分前のようす。これアンデス山脈ですよね?)

わー。真夏です。今日の最高気温は30℃、最低気温は14℃。
外は一瞬しか出なかったので暑さをあまり感じませんでしたが、まだまだ暑いんですね。
いつまで続くんだろう、この暑さ。あまり夏服を持って来なかったので早く秋になってほしいです。

サンチアゴはチリの首都で、南北に長いこの国の、ちょうど真ん中くらいに位置しています。
南緯33度なので、緯度で言うと東京(北緯34度)の裏側くらいです。
(実際に日本の裏側にあたる場所はチリより東、ブラジル沖の海だそうです。)

チリの日本との時差は、-12時間です。ちょうど半日戻るわけです。ちなみにこのブログの世界時計の時間は間違ってます。サマータイムに対応していないようですね。
この時計つけた意味あったのかな…。

市の面積は22㎢で、東京の品川区と同じくらいです。
市街地まで含めると640㎢で、東京23区の面積とほぼ同じ。

人口は約500万人。「南米有数の世界都市」とWikipediaに書いてありましたが、本当のところどうなんでしょうね。それはこれから見て報告します。

以上サンチアゴの基本情報でした。
へーそうだったのか。知らなかった。なんてのんびり構えているのは明日から一週間オリエンテーションがあるからです。笑

***

さて、スペイン語。
最近私はスペイン語の普及活動(?)をしているのですが、どんな言語なのか、英語や日本語と比べながらいくつか特徴を挙げてみようと思います。

●世界中で使われるスペイン語
英語とフランス語に続いて、スペイン語は世界で3番目に多くの国で使用されています。ラテンアメリカ内では国際共通語となっていて、国連の公用語の一つでもあります。スペイン語を母国語や第二言語として話す人の数は、中国語、英語、ヒンディー語に続いて4番目に多いようです。
私がスペイン語を選んだのも、たくさんの地域で多くの人に話されているから。国際ビジネスでも役立つに違いないと確信しています(笑)

●スペイン語の仲間たち
スペイン語は "ロマンス語" の一つ。ロマンス語とは、恋愛の言語…ではなくて、ラテン語の口語がもととなり発展した言語のことです。起源や分類は私には難しすぎるので解説はしませんが、大学で「ロマンス語学科」と言えば、フランス語・スペイン語・イタリア語の3つを指すことが多いです。それにポルトガル語が加わることもあります。スペイン語がフランス語やイタリア語と似ていると言われるのは、もとの言語が同じだからなのです。もちろん違う部分もたくさんありますが、スペイン語とイタリア語とポルトガル語に限って言えば、発音も何となく似ているため、一つできれば残りの二つも言っていることがだいたい想像できます。つまり、スペイン語をマスターすれば、イタリア語やポルトガル語も少し勉強すればできるようになっちゃうわけです。これってスペイン語を学ぶメリットのひとつですよね。

ちなみに英語はドイツ語やオランダ語と同じ "ゲルマン語" に分類されますが、近代英語が完成するまでにロマンス語の影響をたくさん受けているので、スペイン語と英語は語彙がとても似ています。(現在のスペイン語は英語の影響を強く受けて、いろいろ新しい単語や表現が生まれているようです。)

●スペイン語の発音
スペイン語の音って何だかはつらつとして良いですよね!! と思うのは私だけ??
スペイン語の発音は日本人にとって簡単だと思います。比較的。
なぜかと言うと、一つ目は、日本語の発音と似ているから。特に、母音の数が5つで、日本語の「あいうえお」とほとんど同じなので、カタカナ読みでOK。
二つ目は、スペルを見れば発音がわかるから。スペルと発音の法則性がわかりづらい英語と比べてスペイン語はとても楽!!

例えば、、、
"international" → 英語: インターナショナル  西語: インテルナシオナル
"restaurant" → 英語: レストラン  西語: レスタウランテ(スペルは restaurante)
"reservation" → 英語: リザベーション  西語: レセルバシオン(スペルは reservación)
"escape" → 英語: エスケープ  西語: エスカペ
"personal" → 英語: パーソナル  西語: ペルソナル

「カタカナ読みでいい」という意味が何となく伝わったでしょうか?

●スペイン語の文法
英語と日本語だったら、英語の方に近いです。

英語より少し複雑なのは、名詞が女性名詞と男性名詞に分かれていて、それぞれ単数か複数で冠詞や形容詞の形まで変わること。例えば、英語の定冠詞は "the" のみですが、スペイン語は男性単数の "el"、女性単数の "la"、男性複数の "los"、女性複数の "las"、と4種類あります。

また、動詞の活用も英語より厳しく、主語が何かによって活用が変わります。例えば、英語の動詞の現在形は、主語が三人称単数の時にだけ、"s" が付くという決まりがありますね。スペイン語は、主語が「私」「あなた」「あなたたち」「彼」「彼ら」など変わると全て動詞の語尾が変わってきます。

私は歩く:I walk.: Yo camino.
あなたは歩く:You walk.:Tú caminas. または Usted camina.
彼は歩く:He walks.:El camina.
彼女は歩く:She walks.:Ella camina.
私たちは歩く:We walk.:Nosotros caminamos.
あなたたちは歩く:You walk.:Ustedes caminan.
彼らは歩く:They walk.:Ellos caminan.

こういう、最初に覚えなければいけない基本ルールが英語より多く、ちょっとやる気をそがれてしまうかもしれませんが、ルールさえ覚えられればすぐに慣れます。(そして「英語は何て簡単なんだ!!」と感動できます。)

スペイン語の特徴の一つは、動詞の活用で主語がわかるために、主語を省くことが多いことです。それから、英語よりも語順を自由にでき、主語を文の最後に置いたりします。少し日本語と似ていますね。

動詞の使い方でもう一つ英語と大きく違うことは、動詞の活用の種類がとても多いこと。英語は「助動詞+動詞の原形」で多くのことを表し、活用の種類と言えば、「現在形」「過去形」の二つくらいです。一方、スペイン語では、「現在形」「過去形1」「過去形2」「未来形」という時制のそれぞれに「直接法(客観的な事実を述べる)」「接続法(主観的な意見・感想を述べる)」の2種類、そして「命令形」があります。

例えば、未来を表す "will" に相当する助動詞はなく、"I will walk." は "Yo caminaré."、"You will walk" は "Tú caminarás." という具合に、活用を変えることで予定を表します。

英語と似ていることもあって、例えば「完了形」(have + 過去分詞)は、スペイン語にもあり、使い方は英語とほぼ同じです。

文法の違いを挙げれば他にもたくさ〜んありますが、とりあえずこのくらいにしておきましょう。

んー…やっぱり最大の難関は動詞の活用を覚えることですかね…。

でもスペイン語は楽しいですよ!! これからもスペイン語の魅力をたくさんお話したいと思います♡

運か努力か。

勉強法の話が続いたので今日は違う話題を。

英語と日本語の表現の違いって挙げたらキリがないですが、何か見つける度に考え方の違いが垣間見えておもしろいです。

例えば「がんばって」と "Good luck"。

試験を受ける友達に。
外回りに出る同僚に。
学校に向かう子供たちに。
何かにつけて日本人が好んで使う言葉と言えば、「がんばってね!」。

同じ状況でも、英語では "Good luck!"(幸運を祈るよ!)と言うことが圧倒的に多い気がします。
または、"Take it easy!"(まあ気楽にやれよ!)
やるだけやったのなら、後は「神のみぞ知る」ということでしょうか。

「がんばる」、つまり「力を出す」「ふんばる」というニュアンスに近い "Hang in there!" "Break a leg!" "Do your best!" などの表現は、もちろん間違ってはいないのですが、私はあまり耳にしたことがありません。

***

運で試験に受かるか!! と突っ込みたくなる時も多々あるのですが、
極端に言えば「全ては努力次第」と「全ては運次第」に分かれる表現・価値観の違いはどこから生まれるんでしょうか。

「集団主義と個人主義」の違いを論じる時に持ち出されることの多い、【稲作文化】と【稲作以外の農耕・牧畜文化】の違いが、「運と努力」についての考え方にも影響しているのではないかと私は思います。

大雑把に言って、日本や中国・韓国で伝統的に行われてきた稲作と、西ヨーロッパやアメリカの小麦やとうもろこしの栽培では、必要とされる土地の面積・労働時間と量・労働の複雑さや大変さなどが全く違います。(牧畜が全く違う文化を育むことは想像に難くないと思います。)

お米の栽培はとっても「手間がかかり」ます。そして、「手間をかけた分だけ」収穫の量が増え、質が高まる。別の言い方をすれば、「努力は報われ」「努力しない者は成功できない」のです。

一方で、小麦やとうもろこしの栽培は、春に種を蒔き、雨さえ降れば、秋に収穫が待っている。最低限やることをやっていれば、何とかなる。
労働量も少ない代わりに、努力と報酬の関係性も比較的弱いのです。

そんな2種類の農作の違いを考えると、古くから稲作を営んできた国民があくまでも勤労を重んじる一方で、その他の農耕・牧畜を営んできた国民が、「運任せ」とは言わないまでも、勉強や仕事と同じくらい息抜きと遊びをとても大事にするのは理解できる気がします。そんな、単純なものでもないかもしれませんが。

ちなみに、スペイン語やフランス語ではやっぱり、英語と同様、
"Buena suerte" "Bonne chance" (= Good luck) と言いますし、
韓国語では "힘내!"(がんばって)、"파이팅!" (英語の fighting から。「ファイト!」)と言うみたいです。
中国語(標準語)は "加油" と習った記憶がありますが、北部と南部では農耕の種類も違うので、もしかしたら北京語と広東語などで表現が違うのでしょうか。誰か知っている人がいたら教えてください。

***

言語と文化は密接に結びついているもの。
言葉の端々に垣間見える価値観の断片を掘り下げていくと、その根底に流れる歴史や文化についての意外な発見があったりします。大げさ?
外国語学習の醍醐味です☆


(参考:"Outliers - The Story of Success" by Malcolm Gladwell)
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