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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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「英語ができます」?

いつになったら、「英語ができる」と言っていいんだろう。

Do you speak English?という質問に Yes と答えられる。

Which language do you speak?という質問に対して I speak English と言える。

英語が、自分にとって外国語であることに変わりはなくても。

英検2級に合格したら?
TOEIC700点を取ったら?
英語で商談を成立させたら?

そして、いつになったら、英語が「外国語」であることをやめて、one of the languages I speakになるんだろう。

英語を使って暮らしたら?
何年住んだら?
英語を話す人と恋愛をしたら?

「英語ができない」と「英語ができる」の境目。
誰かがタイミングを教えてくれるのではなくて、
自分で決めるしかないんだと思います。

***

そんなことを考えていたのは、一ヶ月前に帰国してから、
英語ではなくスペイン語について聞かれるたびに、
私はいつになったら「スペイン語が話せます」と躊躇なく言えるようになるんだろう、と思ったから。

いつになったら言っていいんだろう、いつになったら私はGOサインを出すんだろう?

今、私が、自分のスペイン語を否定するのが、昔、自分の話す英語を否定していたときとよく似ていると気づいたから。

***

私が自分の英語をありのまま受け入れられるようになって、英語ができるという自信がついたのは、

TOEIC900点を取ったときでも、
英検1級に受かったときでも、
TOEFL100点を取ったときでも、
英語を教えるようになったときでも、
アメリカの大学に行ったときでもなくて。

そのずっと後。
移民の街トロントで3ヶ月暮らしたことがきっかけでした。

それまでになくいろんな種類の英語を聞いて、
もちろんアクセントもみんな違って、
文法も(教科書基準からすれば)めちゃくちゃで、
でもすごく堂々と話している。

言葉につまっても、良い間違えても、誤解したりされても、
「私が英語ができないばっかりに」なんて言う人も、申し訳なさそうな態度を取る人も、一人としていなかった。

これは、何と訳したらいいのかわからないのですが、they own their English.
英語を自分のものにしてしまっているんです。レベルとか関係なく。

正しく話せることは必ずしもうまく意思疎通ができるわけでもないことを学び、
共通のコミュニケーション手段としての英語の役割を、たぶん初めて実感したのがこのときでした。

***

自分の英語を受け入れられるようになったということは、例えば、

相手が言っていることがわからなかったときに、「私に理解力がないから」とか「語彙が足りないから」と自分を責めることなしに、「今なんて言ったの?」と聞き返せること。

もうあなたの言っていることが全く意味不明だから、私がわかるようにちゃんともう一回説明してちょうだいと言えること。それに対して申し訳ないと思わないこと。

相手が私の言っていることを理解してくれなかったときに、「私の発音おかしいのかな」とか「この言い方まちがってるのかな」とか心配することなしに、もう一度自分の言ったことを繰り返せること。少しだけ大きな声で、丁寧に、ゆっくりと。

うまく説明できないから、このことは言わないでおこう、とコメントを避けるのではなくて、きれいにまとまっていない考えを口に出す勇気を持てること。

***

そうそう、大学一年目に、教授とこんな会話をしました。

私:「授業で他の学生が言っていることが全く理解できないんです!どうしたらいいでしょう?」
教授:「うん、僕も時々わからなくなるよ。意見がまとまっていないし、話すのが下手だからね」

クラスのディスカッションについていけないとき、私はそれは自分の英語のレベルが低いからだと考えていました。
まさか、そもそも彼女たち(ネイティブスピーカー)の話し方に原因があるかもだなんて考えもしなかった!

なーんだ、教授に理解できないことが私に理解できるわけないじゃん(笑)
そんな単純な気づきで、私の心はずいぶん軽くなり、
そのためか以前より心の余裕を持って彼女たちの話に耳を傾けられるようになりました(笑)。
そして、「今あの子、自分でも何言ってるかわかってないな」とか冷静に判断できるようになりました…。

***

英語を、「外国語」として、つまり「他の誰かのもので自分のものではない言語」としてとらえているうちは、
どうしても無意識に、その言語を母語として話す人の言葉は正しくて自分のは正しくないと思い込んでしまうようです。

だからコミュニケーションがうまくいかないと、自分に原因があると思ったり、申し訳なく思ったりする。

でも、英語のネイティブスピーカーが必ずしも英語を上手に話せるかというと、全くそうではないし(私たちが日本語と悪戦苦闘するのと同じように)。

コミュニケーションは双方向であるべき。

歩み寄ってこそ成立すると思うのです。

***

「英語ができるようになりたい」と言う人の95%はもうすでに基盤ができているのだから、
英語ができる前提で、その英語を何に使いたいか、誰に何を伝えたいのか、
そういう目標の立て方をした方が伸びていくんじゃないのかなあ…。目指す方向に。

2014年も1ヶ月が過ぎますが、今年一年、あなたは英語を使って何をしたいですか?


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型と中身についての話。

「型」と「中身」、両方を同時に考えるのは難しい。
外国語で話すときには、どちらか一方に意識を集中した方がいい。

あるとき、私の教授がそのように言っていました。

つまり、伝えたいメッセージの「内容」と、それをどのように伝えるか、という「形」(文法やイディオム)。

形(文法)ばかりに気を取られていると、メッセージの内容に気が回らなくなってしまう。
もともと何が言いたかったのかわからなくなってしまう。

そんな経験はありませんか?

どちらも完璧にしようとするのではなくて、状況に応じて、どちらに力を入れるか決めることが大切です。

例えば、何か重要なことを話しているときには、文法のことは忘れて伝えたい内容のみに集中する方がいい。(多少文法がおかしくなっても、単語をまちがえても気にしない。)

親しい友達と他愛もない話をしているときには、内容はどうでもいいから(笑)その時間だけ文法的に正しく話すことを心がけてみる。

英会話のクラスでは、正しく話すことを心がける。

クラスの外で誰かと英語で会話するときには、文法のことは忘れてコミュニケーションに集中する。

などなど。

往々にして、伝えたいメッセージに意識を集中した方が流暢に話せるものです。
「正しく」「上手に」「まちがえずに」話そうとすると、言葉が出てこなくなってしまいます。

***

英語を例にとって話しますが、外国語、特に英語を「正しく」使おうとするときの落とし穴は、
そもそも何をもって「正しい」英語とするのか、その基準について合意がないこと。
国によっても地域によっても違う。もっと言えば人によって違う。

だから、英語を「正しく」使おうと思ったときに、
「誰の基準に沿って?」という疑問が生じます。

学校の英語の授業では、あたかも「正解」があるように教えられますが、
英語に限っては、「標準語」というものは幻想でしかありません。
そんなもの存在しないんです。はじめから。

言語はもっともっとダイナミックなもので、
何を伝えるにしても、「この言い方が正しい(そして他は間違っている)」ということはありません。

状況によって何がより適切か、ということはあるかもしれませんが、
それも地域によって違えば、相手によっても違ってくる。
ルールは一つではないのです。
複数存在するばかりか、常に変わり続けています。

英語の授業で習うこと。
本に書かれてあること。
テレビやラジオ、インターネットから流れてくる情報。
それはあくまでも、たくさんある表現方法のうちの一つなのです。

***

ちょっと話が逸れますが、シンガポールでは、政府が10年ほど前から「正しい英語を話しましょう」というキャンペーンをおこなっています。"Speak Good English Movement"といいます。
毎年テーマを変えて、今でも続いています。

複数の言語が共存するシンガポールで話される英語には独特の訛りがあり、「シングリッシュ」と呼ばれることがあります。
アクセントが違うだけではなく、シンガポール特有の言い回しもたくさんあります。
このシンガポール独特の英語を排除して、正統なイギリス英語を話しましょう、というのがSpeak Good English Movementの趣旨です。
そうして国民の国際的な競争力を高めましょう、誰にでも通じる言語で話しましょう、その言語をもって革新的でクリエイティブなアイディアを発信しましょう、と。

この政府のキャンペーンに対抗して、「シングリッシュを救おうキャンペーン」(Save Our Singlish Campaign)を展開している民間のウェブサイトに、こんなことが書かれています。

"How can we tell Singaporeans to be creative, daring, and innovative, but only in the right language? How can we ask Singaporeans to dare to speak their minds and take risks in order to be more globally competitive and yet silence the way we normally communicate?"
(シンガポール人にどうやってクリエイティブに、大胆に、革新的になれというんだ、ただしそれを「正しい言語」でやらないといけないとしたら?ふだん自分たちが話す言葉、言語を封印して、排除して、それでどうやってシンガポール人に思ったことを話せというんだ?国際的な競争力を高めろというんだ?)

本当に、「正しい」とされる型にはめてでしかアイディアを表現できないとしたら、
そこにどうして創造性を求めることができるでしょうか?

そして、どうしてイギリス英語(スラングを含め)が「誰にでも理解される標準語」と崇められ、
シンガポール英語が「誰にも理解されない」と蔑まれないといけないのでしょう?

***

英語が話せるようになりたい、上達したい、という気持ちはとても素敵です。
でも、それは必ずしも「アメリカで生まれ育った英語を母語とするアメリカ人のように」話せるようになる、ということを意味する必要はないと思います。
「イギリス人のように」でも、「カナダ人のように」でもいいのですが。

統計から見ても、英語はもう、イギリスのものでもなければ、ましてやアメリカのものでもないのですから。

何が言いたいかというとですね、日本で生まれ育った日本人が英語を話すときに日本語訛りがあるのは当然のことで、
外国語である英語を流暢に話せるようになるまでに時間がかかるのは当然のことで、
存在すらしない「完璧さ」「正確さ」を求めて
自分がすでに持っている力(文法の知識であったり、語彙であったり)を過小評価しないでください、ということです。

今日はここまでにして、続きは明日書きます。

外国語で本を読む。

昨日から一週間の春休みに入りました♡
最近は少し暖かくなったかと思えばまた氷点下に冷え込む日もあり、春はまだまだ先のようですが。

人気がなくなって静けさの漂うキャンパスではいつもより少しゆっくりと時間が流れているように感じます :)

***

春休みだし、ちょっとは勉強の息抜きをしたい!と思って
前回宣言した通り(笑)アルケミストを読んでみることにしました♡
休み明けにポルトガル語の中間試験があるし、良い勉強になるでしょう。





図書館にもポルトガル語版の本があるのですが、昨日と今日は閉まっているので、
グーグルで "O alquimista" と検索してみるといとも簡単にPDF版が見つかりました。

本で読むのに比べると読みづらいけど、まいっか。

星の王子様を読んだときのように、ノートに文章を書き写して、わからない単語と文法を調べて…と勉強する気満々で(試験があるし)、
ノートと辞書と参考書とパソコンを持ってカフェに行ったのですが、
書き写す作業が非常に面倒くさくなってしまいまして(笑)
いいや、その過程はスキップして、ひとまず目を通してみよう、と読み始めました。

当然わからない単語や構文がたくさん出てくるわけですが、
思ったより理解できるんですね。
I understood more than I had given myself credit for.
自分の力を見くびっていたというか。

ベーグルを食べるため両手が塞がっていたので辞書を引くのも面倒で(笑)
わからないことは後で調べればいいや、と思い、
そのまま読み進めることにしました。

辞書を引くのはどうしても知りたい単語だけにとどめて、
参考書で文法や構文を調べる前に文脈から意味を推測することにして、
当初の「勉強する」という目的は早々と捨て、今の自分が文脈だけを頼りにどれだけ読めるか試す機会と決めました。

で、わからないなりに最後まで読み切ったのです。
途中で何度も休憩をはさみ、所要時間は約10時間。

読み進めてみると、最初はイマイチ意味がつかめなかった単語や文の構造も、繰り返し違う文脈での使われ方を目にすることで、最後にはそのほとんどが理解できるようになっていました。

何より「本を一冊読んだ」という達成感と自信!
(PDFだと感慨に欠けますが。)

***

外国語で本を読む、という考え自体 intimidating と感じる(壁が高くて挑戦するのにも気が引ける)人が多いようです。

でも自分のレベルに合うか、それよりほんの少し上の本で成功体験を重ねていくと、外国語で読むというのがちっとも怖くなくなるのではないかなと思います。

最初に読む本としてお勧めなのは、
・絵本、児童文学
・読み切りの短編小説
・自分の専門分野の入門書
・すでに日本語訳を読んでストーリーを知っている小説
・自分が好きな日本語の小説の翻訳
などなど。

短めで、わりと簡単な文で書かれていて、自分の興味がある内容の本がいいと思います。

英語だったら、英語学習者向けでレベル別の "Penguin Readers" などのシリーズもお勧めです。

外国語の本を探すなら、こんなサイトもあります ↓
英語教材・英語の本を扱うサイト:http://www.eltbooks.com/home.php
イタリア、スペイン、ポルトガル語の本の専門店:http://italiashobo.com/hq/index.php

みなさんもぜひお試しあれ☆
次は何を読もうかな…

星の王子様

何という本だったか題名は忘れてしまいましたが、
「外国語で本を一冊読めばその言語をマスターできる」というようなことが書いてあった本がありました。

・一冊の本に、その言語を使いこなすために必要な基礎的な文法が全て含まれている
・その本を暗記すればその言語が話せるようになる

というのです。

本当かよ、と疑いつつも、この方法を部分的に実践してみたことがありました。

教科書は、サン=テグジュペリの「星の王子様」。
いつか原文(フランス語)で読んでみたいと思っていた本です。

フランス語は高校のときに2年勉強しましたが、
基礎文法を繰り返すばかりで、とても読み書きのできるレベルには到達しませんでした。
当時の私のフランス語のレベルは英検でいう3級に届くか届かないかという程度で、本を一冊読み通すには、文法知識も語彙もまだまだ。

それでもやってみました。

用意したものは、
原作と、仏和辞書と、高校のときのフランス語の教科書と、大学ノート一冊、
そして朗読CD。
巷には「フランス語で読もう星の王子様♪」的な本が最低でも5種類くらい売っていましたが、それには手を付けず。
日本語訳や解説に頼らずに、どうしても自分の力で読みたかったのです。

本にいろいろ書き込みたくなかったしそのスペースもなかったので、
中学校の英語の授業でやったように、
まず大学ノートに一行おきに原文を写しました。

そして、わからない単語に下線を引き、仏和辞典を引きつつ余白に単語や文法のメモをとりながら、1章ずつ進んでいきました。
読み終えた章は朗読CDを聞いて、今度は聞き取りに挑戦です。

まだ習ったことのなかった文法も、辞書と教科書をひっくり返しながら何とか学び、
どうしてもわからない複雑な文はインターネットで英訳を確認しながら、
1ヶ月か2ヶ月か忘れましたが、時間をかけてとにかく最後まで読み終えました。

***

さて、そうして私はフランス語をマスターできたかというと、
全然そんなことはありませんね(笑)。

でも、確かに、すでに知っていた文法は定着したし、新しく学んだ文法も、生きた例文を読むことである程度慣れたかなと思います。

それに、何度もCDを聞くうちに、覚えてしまった文も多少はあって、
そういう文に限っては今でも口をついて出てきます。

冒頭の、
「六歳のとき、原生林について書かれた『本当の話』という本で、一枚のすばらしい絵を見たことがあった。描かれているのは一頭の獣をのみこむ大蛇ボア。」とか、
「外から見たボアとおなかの中が見えるボア」とか、
「人の住んでいる土地から千マイルもはなれた砂漠」とか、
「おねがいします…羊の絵を描いてよ!」とか。
「さ、これがケースだよ、君がほしがっている羊はこの中にいるよ」とか。
「君はどこの星から来たの?」とか。
「ちょうちょ」とか、「キノコ」とか、「花のトゲ」とか。
何とも実用的でしょ(笑)。

そんなこんなで、フランス語は大学でも勉強したのに相変わらず全然話せませんが、
星の王子様だけは、読める。
大好きな本を原文で読むという当初の目的は達成できたので良いかなと(笑)。
今でも私の大切な旅のお伴です^^

***

次はアルケミストに挑戦しようかな、と密かに計画中です。
もちろんポルトガル語で!!

みなさんも好きな本があれば、ぜひ原作に挑戦してみてください〜☆




International Women's Day x A Celebration of Speech

今日、3月8日は International Women's Day ですね。

1904年3月8日にアメリカのニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことを受けて、3月8日は「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日として、そして女性の功績を讃える日として、今では世界各地で祝福され毎年様々なイベントが催されます。

公休日ではありませんが、アメリカでもこの時期になると International Women's Day にちなんだイベントがあちこちで開催されています。
(IWDホームページによると今年のイベント数は全米で249。イギリスに次いで2番目の多さです。)

その一つがここ Northampton でおこなわれた "Celebration of Speech"

午後1時から7時まで、途中に音楽をはさみながら、27名の個性あふれるSpeakerたちが様々な演説をおこないました。
前半は "Re-enactments of Historic Speeches"—歴史的に有名な女性によるスピーチの再現。
後半は "Contemporary speeches"—地元の女の子や女性(活動家)によるオリジナル・スピーチの発表。

私は前半の部で、ミャンマーの民主化運動の指導者、アウン・サン・スー・チーさんの "Freedom from Fear" というスピーチを担当しました。

"It is not power that corrupts but fear (人を腐敗させるものは、力ではなく、恐れである)." という一文で始まるこのエッセイは、彼女がまだ自宅軟禁中だった1990年、「思想の自由のためのサハロフ賞」の受賞演説として書かれたもの。

このスピーチ、やたらと難しい言葉が多くて…意味と発音を正確に掴むのに一苦労。
でも、今日に向けて何度も何度も読みこむうちに、
内容も言い回しもほとんど覚えてしまいました。
一つの作品とじっくりと向き合うと、良い英語の勉強になります。

***

思い返せば高校のときも似たようなアクティビティをしたことがありました。
好きな映画のワンシーンを選んで、セリフを覚えて、その俳優/女優になりきってしゃべってみようというもの。
感情をこめて英語を読む練習、というのが目的だったんだと思います。

そのとき私が選んだシーンは "Kate & Leopold (ニューヨークの恋人)" のラスト、パーティーでの演説シーン。

会社のプロジェクトの新マネジャーとして就任演説をしていたはずが、"I'm sorry, but I have to go." と言って好きな人に会いに走り去っていくKateの姿が印象的。

なぜかそのDVDは英語字幕がなく、何度も巻き戻しては聞こえてくる英語と日本語字幕を頼りにスクリプトを起こしたのを覚えています。

確か、"take a poll (世論調査をする)" という表現はそのときに覚えました。
"I'm sorry, but I have to go." というセリフも。

***

映画のセリフであれ、歴史的なスピーチであれ、朗読・暗唱には大きな効果があります。
発音やイントネーションの練習になることはもちろん、新しい語彙を覚え、感情をこめて話す練習にもなります。
英語を話す自分に慣れる、というのも重要なポイント。
自分が話している英語の音に慣れる。
これって実は、スピーキングを上達させるために欠かせないことなんです。

ということで、お気に入りのセリフやスピーチがあればぜひ声に出して朗読みてください♪

英語の名スピーチを紹介したこんな本もありますよ!

近江 誠著「感動する英語!」


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