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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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翻訳の難しさ。

昔、翻訳についてこんなコラムを読みました。

皆さんご存知の「Time flies like an arrow」(光陰矢の如し)というこの文、実は5通りの訳し方があるって知ってましたか?

1)Time / flies / like an arrow
(S) (V) (M)
時は矢のように飛ぶ。スタンダードな訳ですね。

2)Time / flies / like an arrow
(V) (O) (M)
ハエを矢のように測りなさい(空を飛ぶ昆虫の速度を矢の速度を測るように測定せよ)。命令文です。

3) Time / flies / like an arrow
(V) (O) (M)
ハエを矢のように測りなさい(矢が空を飛ぶ昆虫の速度を測るように、あなたが空を飛ぶ昆虫の速度を測定せよ)。命令文。

4)Time flies / like / an arrow
(S) (V) (O)
”時蠅"という種類の昆虫は矢を好む。"Time flies" をひとまとめにしてハエの種類だと解釈すればこうなります。

5)Time / flies / like an arrow.
(S) (V) (M)
TIME(ニュース誌)は投げると直線的な軌跡を描く。


つまり、
・文をどこで区切るか
・どの文型を取るか
・単語の意味をどう解釈するか
で、5通りかそれ以上の意味を見いだすことができるというわけです。
そしてどの解釈も正しい。

でも、ふつう言葉は独立して存在するのではなく、必ず文脈がありますね。
文脈によって、その場合どの解釈があてはまるかがわかります。

機械翻訳というものがありますが、ほとんど役に立たないのは、機械は文脈を読み取ることができないから。
翻訳は人にしかできないと思います。
人間の脳ってすごい :)

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This is how (badly) we speak.

自分の声って聞いたことありますか?

もう何年も前の話ですが、録音された自分の声を初めて聞いたときのショックは今でもけっこうよく覚えています。
私ってこんな声してるの?! と。。。
今でも自分の声って一番身近で一番慣れない。むずがゆい。気持ち悪い(笑)

何だか最近は自分の声(録音)を聞く機会が多いです。
外国語を勉強していると、課題の中でビデオを作ったり、ナレーションを録音したり、インタビューしたり、そういう意味ではしょっちゅう自分の妙ちくりんなスペイン語や韓国語の発音を聞かされるのですが…

何が新鮮だったかというと、原稿を読むのではなくて普通の会話(英語)を録音したものを聞いたこと。
高校生のときは、発音の練習の一環として、文章を読み上げては録音してチェックしたりしてましたが、
自分がふつーに英語でしゃべってる声を聞いたのってほとんど初めてかも!
こうして聞いてみると、すごい、日本語のアクセント!
別に通じてればそれでもいいんですが(笑)改善の余地はまだまだまだまだあるな〜と痛感しました。

もう一つ気づいたのは、自分の「話し方」って、日本語でも英語でも何語でも変わらないものなんだな、と。
何ていうんでしょうね、トーンやイントネーションもそうだし、文の組み立て方、会話のもっていき方、など。
あまり変わらない気がします。
外国語を勉強し始めたばかりの時期って、何だかその言語を話すときは別人になったような気がするのですが、
そういう foreignness はやっぱり少しずつ取り除かれて、どんどん自分の中に integrate されていくものなのかも。

そしてここから本題。
無駄な単語がいかに多いことか。そして完結しない文がいかに多いことか!
ということが、インタビューを文字に起こしているとよくわかります。

例えばこんな文章(最近読んだ本について話している):

"Yeah, she, well, the one that I read is not exactly testimonio but it’s like a theory book, theoretical
book called Hilando Fino, and um…yeah, she says that…feminism is not, or like, that communal
feminism that she’s proposing, is not…like, women…women versus men. Like it’s not like relation between men and women, it’s about... community. And it’s about how these two, like, um, oh how did she put it? like… women… and men relating to the community. Like, the community is the
starting point and ending point. Um... and like… yeah, I just read it the other day."

言いたいこと: Recently I read a theoretical book called Hilando Fino. In that book the author
proposes "communal feminism." Communal feminism takes the community as the starting and
ending point, and men and women in relation to the community, not the relation between women
and men to each other.

私のお気に入りは "yeah" と "like" がダントツで1位で(笑)
このたかだか数十秒の間に "like" を何回連発しただろう。
あとは、"I'm like" "it's like" "I don't know" "I mean" なども数秒(数単語)ごとに口走ってる気がします。

ある教授は大学院生のとき、"like" と言う度にその人のアドバイザーに手を叩いてもらってそのクセを治したんだとか。

私も、これから気をつけよう…。

高校生のときはわざわざ「CALL教室」という外国語学習のための教室まで行ってレコーディングしてましたが、
今ではパソコンでもiPhoneでも気軽に録音ができるので便利です。
特に iPhoneのボイスメモ機能は重宝してます。インタビューの録音でも、外国語学習のためでも。

***

以下、おまけ。会話の一部を文字に起こしたものです。
...Because this is how (badly) we speak. とほほ。
でもすごいリアル!あ、ちなみに友達はネイティブスピーカーです。

[友達が先学期読んだ本について話している、けど名前が思い出せない、という状況。でもそれが "Julieta Paredes" というボリビアの女性活動家の本だとわかります。]

J (友達): ...Oh yeah, and um... I forgot, um.... I have her reading, I can give it to you later, but um... it was about this woman, she’s indigenous, being indigenous, a woman, and also identifies as
lesbian was like an interesting, like, testimonio that I heard, like… her whole, um, writing on like
sexuality, and also how... she is involved in her community and how her community perceives it.
Yeah it was interesting because she had like triple like oppression or something, so it’s like…
That’s like the lowest of the low you can get, but she’s actually really active and… yeah.

A (私): What's her name? Do you know?

J: Um... no... but i have her reading. and ... and it's like under the box of..i forget but i can give it to you, yeah. yeah i can email it to you. but yeah, she was, she was interesting she came to our class,
and...

A: Oh, did she?

J: Yeah, yeah, so..

A: Wait, she's not... she's not Julieta Paredes?

J: I think so.

A: Is it?

J: I think so.

A: Because I...

J: She's from South America, was it Chile? or...

A: Yeah, she's from Bolivia.

J: Oh, Bolivia.

A: Yeah. She's indigenous, she's lesbian and she created this...

J: Yeah, yeah...

A: This community,

J: There you go.

A: ...or organization called Mujeres Creando.

J: Yeah, yeah, yeah.

A: And it's now Mujeres Creando Comunidad, and like Asembleas... Asemblease de Mujeres de...
I forgot the name, but...yeah.

J: Yeah. Yeah! Exactly. She's awesome. and I was like... I was like... her way of thinking,
it's even... I would way even more progressive than what I’ve heard from anglo-saxon feminists.
Like, she’s like in order to make our movement stronger, I don't know, it... you can correct me if
I'm wrong, but she says that it... it's like we need to involve not just the women but also work with
the men as well…?

A: Work with men?

J: Yeah, like.. I don't, I don't know if she says that.

A: Yeah, she, well, the one that I read is not exactly testimonio but it’s like a theory book,

J: Oh yeah yeah yeah...

A: ...theoretical book called Hilando Fino, and um…yeah, she says that…feminism is not, or like,
that communal feminism that she’s proposing, is not…like, women…women versus men. like it’s
not like relation between men and women, it’s about... community. And it’s about how these two,
like, um, oh how did she put it? like… women… and men relating to the community. Like, the
community is the starting point. And ending point. Um, and like… yeah, I just read it the other day.

J: Yeah?

A: Yeah. Um... I did it for Justin's class.

J: Oh really?

A: Yeah, as my extra reading. Yeah, so... that's why, that's how i got to know her and i also saw,
um, that she also came to Hampshire?

J: Yeah yeah, she did, she had a performance.

A: Yeah, and uh... so i was like, "Oh, she... she was here"

J: Yeah, it's really awesome! She's... intense.

A: Um-hum. She's cool. She's very radical.

J: Yeah, yeah. she's really really radical. but, but in a good way because she applies feminism to her community, not like tries to fit into that.

A: Yeah, that, there was a section explaining.... like occidental, I mean, western feminism and....
feminismo comunitario? feminismo de comunidad?

J: Something like that.

A: Yeah. Something like that.

J: Yeah, but yeah.

A: Um-hum.

...そして会話は続く…

私の「頭の中」

母国語は日本語で、スペイン語専攻で、今は韓国語を学んでいて云々、という話をすると、
「頭の中どうなってるの?」
とか、
「いつも何語で考えてるの?」
などと聞かれることが多々あります。

「考える」って無意識的に行うことが多いし目に見えないので、何語かということも普段は特に意識しないのですが…。
あまりにも頻繁に聞かれるので、しばらく、自分の「考える」という行為を意識して観察してみました。


その前に「頭の中がどうなっているか」という話を。
あ、ちなみに今日の話題は全くもって現実に役に立たないので、最初にそう断っておきます。

感覚的な話ですが、英語を勉強し始めたときからずっと、頭の中に言語の「部屋」というイメージがあります。視覚的というよりは感触的なイメージで。

英語を勉強して、ある程度身に付くと、頭の中に「英語の部屋」ができて、英語の文法や語彙などの情報は全部その部屋に収納される。

フランス語を勉強し始めたとき、日本語・英語の他に、「その他外国語」という部屋ができて、そこにフランス語の情報が収納される。

その後も他の外国語を勉強するたび「その他外国語」にいったん収納され、ある程度自由に操れるようになると自分の部屋が確立される。ちなみに自分の部屋が確立されないとその言語へのアクセスに時間がかかるので言語間の切り替えもスムーズにいかない。しばらく使用されないと部屋ごと退化するか他の部屋に吸収合併される。

チリ留学を経て「スペイン語の部屋」を、韓国滞在中に「韓国語の部屋」を建設。

なので今私の頭の中には、大きい順に、「英語の部屋」「スペイン語の部屋」「韓国語の部屋(建設中)」そして「その他外国語(フランス語、中国語、その他ランダムな情報)」があります。


***


ここから本題、「思考の言語」について。


結論その1:日本語は無意識の言語、英語は意識の言語。

生活に密接した、反射的な思考…「コーヒーこぼしちゃった」とか「授業の後パン買いに行こう」とか、そういうのは全部日本語です。自分との会話はほとんど日本語。
無意識・反射的・受動的な思考はほぼ100パーセント日本語。

留学生活が長くなるにつれて英語が無意識の分野に進出し始めていますが、
英語は基本的には「意識の言語」で、英語のインプットに対しては英語で考える、という感じです。
例えば英語で書かなければいけないエッセイがあるとき、そのエッセイについてアイディアを出したり下書きを書いたりするときは英語。
なので大学で勉強しているときの思考はたいてい英語。

そう考えると、狭義の「考える」ということの大部分を私は英語でおこなっているのかもしれません…。
「思う」のは日本語で、「考える」のは英語、とも言えるかも。
日本語は感情・感覚に一番近く、英語は理性と分析に一番近い。

他の言語はもっと使用時期が特化されていて(?)、
スペイン語で書かなきゃいけないエッセイやメールを考える時はスペイン語、
韓国語はまだ思考できるレベルに至っていなく、日本語で考えて韓国語に訳しています。



結論その2:常に複数の言語間を行き来している。

「英語で考える」と言っても100パーセント英語で考えるわけではありません。
知らない単語はまだまだたくさんあるし、その度に和英辞典を使っています。辞書を開かない日は一日もないのです。

スペイン語を学ぶことによって、英語がスペイン語の思考に影響されるということもあります。
英語を話していて、「これはスペイン語の表現の直訳だ」と気付き言い直すことも。その反対もあります。

さらに、「日本語で考える」というのも100パーセント日本語でおこなっているわけではないのです。
特に大学の授業で習ったコンセプトを日本語で説明しようとすると、単語もわからないし、うまくまとまらない。
アカデミックな内容に限らず、時々、自分が話す日本語が、英語の翻訳なんじゃないかと思うことがあります。

あまり良い例ではないですが、例えば…。
日本人の友達に、友達を紹介されて初めて会ったとき、私は「会えて嬉しいです」と言って、
「そんなこと日本語で言わなくない?」と後で友達につっこまれてしまいました。
その表現って日本語として不自然?思考回路に組み込まれた "Nice to meet you" の翻訳?
その区別がもう、つかないんです。

なので頭の中に英語の音が流れていても思考回路はスペイン語かもしれない。日本語で考えているつもりでも英語の論理の中にいるのかもしれない。


授業のノートや日記など個人的なものは、複数の言語が常に入り交じっています。日記は特に「考える」と「書く」が同時進行でおこなわれるので、思考の軌跡が一目瞭然です。

なぜ複数の言語が入り交じるかというと、ひとつは、先に頭に浮かんだものを使うからです。便利だからで、時間の節約。

もうひとつは、できるだけ翻訳をしないで、「元の考えに一番近い」言葉を使いたいから。
辞書の上では同等と位置づけられている単語ひとつとっても、言語が変わると私にとって意味が変わってしまうのです。

どういうことかと言うと、例えば、
"I miss you" "Te echo de menos" "恋しい" "보고싶어" …
これらの感情表現は辞書の上では「同じ意味」だとしても、どれも全く別の意味と響きを持っていて、決して意味が釣り合うことはないのです。

その時によってその時の気分で書くので、全部日本語だったり、英語とスペイン語が半々だったり、何か一つの単語や表現だけ違う言語だったり。
誰に見せるわけでもないので好き放題、不規則的で無秩序、それが私の思考の正体です。



結論その3:常に翻訳している。

これは厳密に言えば「話すとき」「書くとき」ですが、そういうときも頭は働いているので。
上に書いたように私の頭の中は常に複数の言語が共存しているので、コミュニケーションを取るときは相手に合わせて、そのときの共通言語に翻訳するという作業が避けられません。

程度は多かれ少なかれ、いつも頭の中で翻訳している自分がいるのです。



以上。私って「頭おかしい」のかな。笑


韓国語とハングル

안녕! ソウルからこんにちは。

韓国・インチョン空港からソウル市内へバスに揺られること1時間、大学のすぐ近くで降りたはずなのに、道がわからず炎天下オロオロウロウロ、こんなことなら節約しないで空港ピックアップ頼めば良かったと後悔しながら汗だくで大学の寮に到着したのが今週の月曜日。

火曜日にオープニングセレモニーとウェルカムパーティーがあり、
水曜日から授業が始まり、(私が取っているのは韓国語と "映画で見る韓国近代史")
今日は土曜日、昨夜から降り出した雨もようやく上がったのでこれから出かけようかな〜と思いつつこれを書いています。

私がいる梨大と、隣の新村は学生街で、お店と人に溢れいつも賑わっています。

大学の門を出てすぐの通り。暑いので日傘をさしている人もちらほら↓
IMG_2407.jpg

中通りの商店街、夜の様子 ↓
IMG_2416.jpg


韓国に来てるので今日は韓国語について書こうと思います。ちょっとだけ^^

韓国語と言えばハングル。○ や□ や|が組合わさった幾何学模様のようなあれです。
韓国語のことを「ハングル語」と表現することがありますが、ハングルはあくまでも日本語のひらがなや英語のアルファベットにあたる、韓国語で使用される文字を指していて、言語自体を指す言葉ではありません。(韓国語は「ハングゴ」と言います。)

このハングルというもの、一見わけがわからない記号の羅列に見えますが(韓国語を知らなければ当然ですね)、実はとっても論理的で、ちょっと勉強すると意味がわからなくとも韓国語が読めるようになってしまいます。

ハングルはひらがなやカタカナと同様の「表音文字」で、ひとつひとつのパーツが音を表しています。

例えば、「あいうえお」という母音はそれぞれ、
ㅏ ㅣ ㅜ ㅐ ㅗ
と表されます。

そして、例えばアルファベットの k と a が組み合わさると ka(カ)という音となるように、韓国語では子音を表す文字と母音を表す文字を組み合わせて表記します。

例えば「ㄴ」は n の音を表すので、これを先ほどの母音と組み合わせて、
나 니 누 내 노
「なにぬねの」という音を表します。

h の音を表す「ㅎ」と組み合わせれば、
하 히 후 해 호
これで「はひふへほ」と読みます。

子音がなくて母音のみの時は、無音を表す「ㅇ」をつけて、
아 이 우 애 오
これで正しい「あいうえお」

正直あまり美しいとは思えないんですが(笑)、暗号解読みたいでおもしろくてハマっちゃいました。


ちなみにハングルの母音は21字、子音は19字ありますが、基本となる少数の文字から派生して別の文字ができているので、その基本としくみさえ押さえればいいのです。
例えば 
오(お)+ 아(あ)= 와(おあ=わ)
などなど。
子音も19字それぞれが孤立しているのではなく、音が似ていれば形も似ています。


五十音全て文字がバラバラのひらがなよりよっぽど合理的!だと思いません??


もっとハングルについて詳しく知りたい方はこちらへどうぞ →ハングルの基本
けっこうわかりやすくまとめられていると思います。


韓国語を全く知らない人に少しでも親しみを持っていただければ幸いです^^

スペイン語で見る世界

日本語が恋しい、と感じたことはありますか。

外国に行って日本語を話す相手がいない時、
そうでなくても世界が外国語の音に囲まれる時、
どんなにその言語で支障なくコミュニケーションが取れたとしても、
たぶん多くの人が、何かが欠けていると感じ、
日本語を必要とする感覚に駆られるのではないでしょうか。

音が恋しいとか、
活字が恋しいとか、
どうしても日本語じゃないと表現できないもどかしさとか。

まさにそのために私はこのブログを始めたわけです。
もちろんそれだけではないけれど、
私の、日本語で発信する必要性と書き続けられそうなテーマが結びついてこの形になったのです。

***

今回チリに留学した主な目的はもちろん、言語を学ぶためであり、
かといって数ヶ月で突然ネイティブスピーカーのように操れるようになるかというとそんな奇跡は起こるはずもなく。

けれど、どんなに文法が間違っていようと、
どんなに語彙が限られていようと、
自分の感情とその言葉が結びついたとき、
その言葉は foreign な「外国」語ではなく
その人の第二、第三言語になるんだと思います。
そしてその数字も、単なる時系列を示す記号でしかない。

言語習得を目的とする留学の意義はそこにあるのではないでしょうか。
少なくとも私にとって、
この留学の大きな成果のひとつは、
スペイン語が、私という人間を構成する要素の一つとなったことなのです。
思考回路の一部となり、
感情の一部となったことなのです。

***

インプットやアウトプットを機械的に繰り返しても、
単語の意味をどれだけ暗記しても、
それが単なる作業で訓練なら、
その言語は色のない記号でしかない。
signified から切り離された signifier、
不可能な日本語の翻訳。

わかりたい、
わかってほしい、
という、必要にも似た欲求が生まれて初めて、
感情が介入して初めて、
その言語が記号であることをやめ、
foreign であることをやめ、
翻訳であることをやめ、
signifier と signified の境界線が消え、
言葉が対象そのものになり、
色や匂いや感触を持ち始めるのではないか。

私の世界の全てをスペイン語で説明することはできないけれど、
私の中にスペイン語でしか表現できないことがある。

なくてはならないものへ。
仲介するものからアイデンティティそのものへ。
表現する手段から思想そのものへ。

そう、位置付けが、ここ数日、自分の中で変化していくのを目の当たりにし、
ちょっと感動しました。

帰国まであと2週間弱。
スペイン語が恋しくなるな。
それもクセの強いチリのスペイン語が。
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