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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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型と中身についての話。

「型」と「中身」、両方を同時に考えるのは難しい。
外国語で話すときには、どちらか一方に意識を集中した方がいい。

あるとき、私の教授がそのように言っていました。

つまり、伝えたいメッセージの「内容」と、それをどのように伝えるか、という「形」(文法やイディオム)。

形(文法)ばかりに気を取られていると、メッセージの内容に気が回らなくなってしまう。
もともと何が言いたかったのかわからなくなってしまう。

そんな経験はありませんか?

どちらも完璧にしようとするのではなくて、状況に応じて、どちらに力を入れるか決めることが大切です。

例えば、何か重要なことを話しているときには、文法のことは忘れて伝えたい内容のみに集中する方がいい。(多少文法がおかしくなっても、単語をまちがえても気にしない。)

親しい友達と他愛もない話をしているときには、内容はどうでもいいから(笑)その時間だけ文法的に正しく話すことを心がけてみる。

英会話のクラスでは、正しく話すことを心がける。

クラスの外で誰かと英語で会話するときには、文法のことは忘れてコミュニケーションに集中する。

などなど。

往々にして、伝えたいメッセージに意識を集中した方が流暢に話せるものです。
「正しく」「上手に」「まちがえずに」話そうとすると、言葉が出てこなくなってしまいます。

***

英語を例にとって話しますが、外国語、特に英語を「正しく」使おうとするときの落とし穴は、
そもそも何をもって「正しい」英語とするのか、その基準について合意がないこと。
国によっても地域によっても違う。もっと言えば人によって違う。

だから、英語を「正しく」使おうと思ったときに、
「誰の基準に沿って?」という疑問が生じます。

学校の英語の授業では、あたかも「正解」があるように教えられますが、
英語に限っては、「標準語」というものは幻想でしかありません。
そんなもの存在しないんです。はじめから。

言語はもっともっとダイナミックなもので、
何を伝えるにしても、「この言い方が正しい(そして他は間違っている)」ということはありません。

状況によって何がより適切か、ということはあるかもしれませんが、
それも地域によって違えば、相手によっても違ってくる。
ルールは一つではないのです。
複数存在するばかりか、常に変わり続けています。

英語の授業で習うこと。
本に書かれてあること。
テレビやラジオ、インターネットから流れてくる情報。
それはあくまでも、たくさんある表現方法のうちの一つなのです。

***

ちょっと話が逸れますが、シンガポールでは、政府が10年ほど前から「正しい英語を話しましょう」というキャンペーンをおこなっています。"Speak Good English Movement"といいます。
毎年テーマを変えて、今でも続いています。

複数の言語が共存するシンガポールで話される英語には独特の訛りがあり、「シングリッシュ」と呼ばれることがあります。
アクセントが違うだけではなく、シンガポール特有の言い回しもたくさんあります。
このシンガポール独特の英語を排除して、正統なイギリス英語を話しましょう、というのがSpeak Good English Movementの趣旨です。
そうして国民の国際的な競争力を高めましょう、誰にでも通じる言語で話しましょう、その言語をもって革新的でクリエイティブなアイディアを発信しましょう、と。

この政府のキャンペーンに対抗して、「シングリッシュを救おうキャンペーン」(Save Our Singlish Campaign)を展開している民間のウェブサイトに、こんなことが書かれています。

"How can we tell Singaporeans to be creative, daring, and innovative, but only in the right language? How can we ask Singaporeans to dare to speak their minds and take risks in order to be more globally competitive and yet silence the way we normally communicate?"
(シンガポール人にどうやってクリエイティブに、大胆に、革新的になれというんだ、ただしそれを「正しい言語」でやらないといけないとしたら?ふだん自分たちが話す言葉、言語を封印して、排除して、それでどうやってシンガポール人に思ったことを話せというんだ?国際的な競争力を高めろというんだ?)

本当に、「正しい」とされる型にはめてでしかアイディアを表現できないとしたら、
そこにどうして創造性を求めることができるでしょうか?

そして、どうしてイギリス英語(スラングを含め)が「誰にでも理解される標準語」と崇められ、
シンガポール英語が「誰にも理解されない」と蔑まれないといけないのでしょう?

***

英語が話せるようになりたい、上達したい、という気持ちはとても素敵です。
でも、それは必ずしも「アメリカで生まれ育った英語を母語とするアメリカ人のように」話せるようになる、ということを意味する必要はないと思います。
「イギリス人のように」でも、「カナダ人のように」でもいいのですが。

統計から見ても、英語はもう、イギリスのものでもなければ、ましてやアメリカのものでもないのですから。

何が言いたいかというとですね、日本で生まれ育った日本人が英語を話すときに日本語訛りがあるのは当然のことで、
外国語である英語を流暢に話せるようになるまでに時間がかかるのは当然のことで、
存在すらしない「完璧さ」「正確さ」を求めて
自分がすでに持っている力(文法の知識であったり、語彙であったり)を過小評価しないでください、ということです。

今日はここまでにして、続きは明日書きます。
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