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Sumire

Author:Sumire
札幌生まれ札幌育ちの道産子。道内公立高校を卒業し、2010年1月渡米、スペイン語を専攻し、2013年12月卒業。
趣味は外国語の勉強とタップダンスと行き当たりばっ旅。在学中に4つの外国語を学び、アメリカを拠点に6カ国で生活しました。座右の銘は「思い立ったが吉日」今日も気ままに生きてます。


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外国語を学ぶ理由。

「長い人生のうちの数ヶ月間を、毎日美味しいものを食べる喜びと、ただ耳に入るその音の感触が好きだからという理由でイタリア語を勉強する喜びのために費やすのは、そんなに悪いことなのかしら」

離婚して、仕事をやめて、ニューヨークにある買ったばかりの大きな家を捨てて、彼女は1年の旅に出る。
イタリアへ4ヶ月―ピュアな喜びを追求するため
インドへ4ヶ月―自分の内面を見つめるため
インドネシアへ4ヶ月―世俗的な喜びと精神性のバランスを見つけるため

Eat, Pray, Love.
Elizabeth Gilbert.




彼女がイタリア語を学び始めたのは離婚手続き真っ最中の、彼女曰くそれまで築きあげた人生が目の前で崩壊していった暗黒の時期。
イタリア語を勉強する理由について、彼女は次のように綴っています。

"For years, I'd wished I could speak Italian -- a language I find more beautiful than roses --
but I could never make the practical justification for studying it. Why not just bone up on
the French or Russian I'd already studied years ago? Or learn to speak Spanish, the better to help
me communicate with millions of my fellow Americans? What was I going to do with Italian?
It's not like I was going to move there. It would be more practical to learn how to play
the accordion."
(ずっとイタリア語が話せたら良いなと思っていた。薔薇よりも美しいと思える言語。でもイタリア語を勉強する正当な、実用的な理由を見つけられなかった。もう勉強したことのあるフランス語やロシア語を詰め込むんじゃだめ?それかスペイン語を勉強するとか。その方がこの国に住む何百万人もの同胞と理解し合えるようになるじゃない?イタリア語なんか勉強してどうするの?何もイタリアに住むわけじゃあるまいし。アコーディオンが弾けるようになる方がよっぽど役に立つわ。)

"But why must everything always have a practical application? I'd been such a diligent soldier
for years -- working, producing, never missing a deadline, taking care of my loved ones, my gums and my credit record, voting, etc. Is this lifetime supposed to be only about duty? In this dark
period of loss, did I need any justification for learning Italian other than that it was the only thing
I could imagine bringing me any pleasure right now?"
(でも何で全て実用的な適用性をもたなければいけないの?私はずっと勤勉な兵士をやってきた。働いて、生産して、毎回期限を守って、愛する人や歯ぐきやクレジットの面倒を見て、投票して、あれもして、これもして。人生って義務だけでできてるの?この辛い時期に、楽しみを与えてくれるんじゃないかと思えるたったひとつのものがイタリア語だということ以外に、この言語を学び始めるための理由が何か必要かしら?)

そう決めて、彼女は夜間のクラスに通い始めます。
毎晩お風呂でイタリア語の辞書を広げては呪文のように単語をつぶやいて、少しの間辛い現実から解放される。

"Just speaking these words made me feel sexy and happy."
(イタリア語の単語をただ声に出すだけでセクシーでハッピーな気分になれた。)



この考え方、すごく共感。
何も全てが実用的じゃなくたっていいじゃない?
ただ耳に心地良いから。楽しいから。話してみたいから。
何の役に立たなくても、たったそれだけの理由で外国語を勉強してもいい。
何か別の大きな目的を達成する「手段」としてじゃなくて、
経験そのものを目的として。

長く勉強を続けてるとだんだん、
「まだできない」とか「まだわからない」とかって、
できることより「できない」ことの方に目が向きがちで…。
勉強してるのに、留学したのに、上達を感じられないとか。
全然だめだって気持ちに押しつぶされそうになることがあります。

でも勉強を始めたばかりの、単語ひとつ、フレーズひとつ覚えるだけでも魔法みたいに「セクシーでハッピー」な気持ちになれた、そういう感覚は今でもよく覚えている。
誰のためでもなく自分のために、好きだから続けている。
それだけでいいのかもしれない。
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